・・・その頃のカッフェ・パウリスタは中央にグラノフォンが一台あり、白銅を一つ入れさえすれば音楽の聞かれる設備になっていた。その夜もグラノフォンは僕等の話にほとんど伴奏を絶ったことはなかった。「ちょっとあの給仕に通訳してくれ給え。――誰でも五銭・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ お駄賃に、懐紙に包んだのを白銅製のものかと思うと、銀の小粒で……宿の勘定前だから、怪しからず気前が好い。 女の子は、半分気味の悪そうに狐に魅まれでもしたように掌に受けると――二人を、山裾のこの坂口まで、導いて、上へ指さしをした――・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そして、勘定台の方へふらふらと行き、黒い皮の大きな財布から十銭白銅十枚出した。一枚多いというのを、むっとした顔で、「チップや」 それで、その夜の収入はすっかり消えてしまった。「そんなら、いずれまた」 もう一度松本に挨拶し、そ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・とお富は白銅一個を娘に渡すと、娘は麺包を古新聞に包んで戸の間から出した。「源ちゃんにあげて下さいな、今夜焼きたてが食べさせたいことねエ、そら熱いですよ。」とお秀に渡す。「まあお気の毒さまねエ、明朝のお目覚にやりましょう。」 二人・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・そうして白銅一つやって逃げて来ました。ミュンヘンでは四日泊まりました。ピナコテークの画堂ではムリロやデュラーやベクリンなどを飽くほど見て来ました。それからドレスデンやらエナへ行って後、ワイマールに二時間ばかりとどまって、ゲーテとシラーの家を・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・千人針にもついでに五銭白銅を縫付け「しせんを越える」というおまじないにする人もあるという話である。これも後世のために記録しておくべき史実の一つである。いずれにしても愛嬌があって、そうして何らの害毒を流す恐れのないのみならず、結果においては意・・・ 寺田寅彦 「千人針」
・・・昔北欧を旅行したとき、たしかヘルシングフォルスの電車の運転手が背広で、しかも切符切りの車掌などは一人もいず、乗客は勝手に上がり口の箱の中へかねて買い置きの白銅製の切符を投げ入れていたように記憶している。こんなのんびりした国もあるのかと思った・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・ 亮二はこっそりがま口から、ただ一枚残った白銅を出して、それを堅く握って、知らないふりをしてみんなを押しわけて、その男のそばまで行きました。男は首を垂れ、手をきちんと膝まで下げて、一生けん命口の中で何かもにゃもにゃ言っていました。・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・愛は戸棚の、小さい箱根細工の箱から、銀貨、白銅とりまぜて良人の拡げた掌の上にチリン、チリンと一つずつ落した。「これがお風呂。これが三助。――これが――お土産」 禎一は、いい気持そうに髪の毛をしめらせ、程なく帰って来た。彼は、たっぷり・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
出典:青空文庫