・・・』 アウシュコルンは猛り狂って、手をあげて、唾をした、ちょうど自分の真実を証明するつもりらしくそして繰り返しいった。『全くほんとの事なんであなた、神様もご照覧あれ。全くもって、全くもって、嘘なら命でも首でも。わたしはどこまでも言い張・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・昔の人が真実だと思っていた、神霊の存在を、今の人が嘘だと思っているのを、世間の人は当り前だとして、平気でいるのではあるまいか。随ってあらゆる祭やなんぞが皆内容のない形式になってしまっているのも、同じく当り前だとしているのではあるまいか。又子・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・いやそれより若しも生活の感覚化がより真実なる新時代への一致として赦され強要せられなければならないものとしたならば、少くとも文学活動にその使命を感ずる者はより寧ろ生活の感覚化を拒否し否定しなければならないではないか。何ぜなら、もしも然るがよう・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ここに誇大妄想と真実の自己運命の信仰との別があるのです。成長しないものと不断に力強く成長するものとの別があるのです。前者は自己を誇示して他人の前に優越を誇ります。後者は自己を鼓舞し激励するとともに、多くの悩み疲れた同胞を鼓舞し激励します。・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫