・・・ 為さんは店の真鍮火鉢を押し出して、火種を貰うと、手元へ引きつけてまず一服。中仕切の格子戸はあけたまま、さらにお光に談しかけるのであった。「お上さん、親方はどんなあんばいですね?」「どうもね、快くないんで困ってしまうわ」「あ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 見ると東坡巾先生は瓢も玉盃も腰にして了って、懐中の紙入から弾機の無い西洋ナイフのような総真鍮製の物を取出して、刃を引出して真直にして少し戻すと手丈夫な真鍮の刀子になった。それを手にして堤下を少しうろついていたが、何か掘っていると思うと・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・彼女はそこに置いてある火鉢から細い真鍮の火箸を取って見て、曲げるつもりもなくそれを弓なりに折り曲げた。「おばあさん――またここのお医者様に怒られるぞい」 と三吉は言って、不思議そうにおげんの顔を見ていたが、やがて子供らしく笑い出した・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 或日彼は、アンティフォンという男に向って、真鍮はどこから出るのが一番いいかとたずねました。すると、アンティフォンは、「それはハーモディヤスとアリストゲイトンの鋳像のが一ばん上等です。」と答えました。ディオニシアスは愕いて、忽ちその・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・、しおから蜻蛉、紅葉も散り、ひとびと黒いマント着て巷をうろつく師走にいたり、やっと金策成って、それも、三十にちかき荷物のうち、もっとも安直の、ものの数ならぬ小さい小さいバスケット一箇だけ、きらきら光る真鍮の、南京錠ぴちっとあけて、さて皆様の・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ お茶の水から甲武線に乗り換えると、おりからの博覧会で電車はほとんど満員、それを無理に車掌のいる所に割り込んで、とにかく右の扉の外に立って、しっかりと真鍮の丸棒を攫んだ。ふと車中を見たかれははッとして驚いた。そのガラス窓を隔ててすぐそこ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ その他の曲にはなかなか複雑な仕組みのものもあったが、たとえば大小の弦楽器が多くは大小の曲線の曲線的運動で現わされ真鍮管楽器が短い直線の自身に直角な衝動的運動で現わされたり、太鼓の音が画面をいっさんに駆け抜ける扇形の放射線で現わされたり・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・ 金属と油脂類との間の吸着力の著しいことは日常の経験からもよく知られている。真鍮などのみがいた鏡面を水で完全に湿すのが困難であるのは、目に見えない油脂の皮膜のためである。こういう皮膜がいわゆる boundary lubrication ・・・ 寺田寅彦 「鐘に釁る」
・・・皮製で財布のような恰好をした煙草入れに真鍮の鉈豆煙管を買ってもらって得意になっていた。それからまた胴乱と云って桐の木を刳り抜いて印籠形にした煙草入れを竹の煙管筒にぶら下げたのを腰に差すことが学生間に流行っていて、喧嘩好きの海南健児の中にはそ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・銃口にはめた真鍮の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が中学生のとき、エンピール銃に鉛玉を込めて射的をやった事を想い出した。単純に射的をやる道具として見た時に鉄砲は気持のいいものである。しかしこれが人を殺すための道具だと思って見ると・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫