・・・女中部屋など従来入ったことも無かったのであるが、見ると高窓が二尺ばかり開け放しになってるので、何心なく其処から首をひょいと出すと、直ぐ眼下に隣のお源が居て、お源が我知らず見上た顔とぴたり出会った。お源はサと顔を真赤にして狼狽きった声を漸と出・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・これはかねて世界最大の噴火口の旧跡と聞いていたがなるほど、九重嶺の高原が急に頽こんでいて数里にわたる絶壁がこの窪地の西を回っているのが眼下によく見える。男体山麓の噴火口は明媚幽邃の中禅寺湖と変わっているがこの大噴火口はいつしか五穀実る数千町・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 三 ある朝、町からの往還をすぐ眼下に見おろす郷社の杜へ見張りに忍びこんでいた二人の若者が、息を切らし乍ら馳せ帰って来た。「やって来るぞ! 気をつけろ!」 暫らくたつと、三人の洋服を着た執達吏が何か話し合いな・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・ この時親分が馬でやってきた。二、三人の棒頭にピストルを渡すと、すぐ逃亡者を追いかけるように言った。「ばかなことをしたもんだ」 誰だろう? すぐつかまる。そしたらまた犬が喜ぶ! 眼下の線路を玩具のような客車が上りになっている・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・やがて、水上のまちが、眼下にくろく展開した。「もはや、ゆうよはならん、ね。」嘉七は、陽気を装うて言った。「ええ。」かず枝は、まじめにうなずいた。 路の左側の杉林に、嘉七は、わざとゆっくりはいっていった。かず枝もつづいた。雪は、ほ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 秋風嫋々と翼を撫で、洞庭の烟波眼下にあり、はるかに望めば岳陽の甍、灼爛と落日に燃え、さらに眼を転ずれば、君山、玉鏡に可憐一点の翠黛を描いて湘君の俤をしのばしめ、黒衣の新夫婦は唖々と鳴きかわして先になり後になり憂えず惑わず懼れず心のまま・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 眼下の梓川の眺めも独自なものである。白っぽい砂礫を洗う水の浅緑色も一種特別なものであるが、何よりも河の中洲に生えた化粧柳の特異な相貌はこれだけでも一度は来て見る甲斐があると思われた。この柳は北海道にはあるが内地ではここだけに限られた特・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ 二 草市 七月十三日の夕方哲学者のA君と二人で、京橋ぎわのあるビルディングの屋上で、品川沖から運ばれて来るさわやかな涼風の流れにけんぐしながら眼下に見通される銀座通りのはなやかな照明をながめた。煤煙にとざされた大都・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 汽車が東京へはいって高架線にかかると美しい光の海が眼下に波立っている。七年前のすさまじい焼け野原も「百年後」の恐ろしい破壊の荒野も知らず顔に、昭和五年の今日の夜の都を享楽しているのであった。 五月にはいってから防火演習や防空演習な・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 階段をおりる時に、新刊雑誌を並べた台が眼下に見おろされる。ここには、同じような体裁で、同じような内容の雑誌が、発音まで似かよったいろいろの名前で陳列されている。表紙だけすりかえておいても人々はなんの気もつかずに買って行くだろう。少年や・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫