・・・ 制帽の庇の下にものすごく潜める眼光は、機敏と、鋭利と厳酷とを混じたる、異様の光に輝けり。 渠は左右のものを見、上下のものを視むるとき、さらにその顔を動かし、首を掉ることをせざれども、瞳は自在に回転して、随意にその用を弁ずるなり。・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・でそうした巌丈な赭黒い顔した村の人たちから、無遠慮な疑いの眼光を投げかけられるたびに、耕吉は恐怖と圧迫とを感じた。新生活の妄想でふやけきっている頭の底にも、自分の生活についての苦い反省が、ちょいちょい角を擡げてくるのを感じないわけに行かなか・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・と岡本はその冴え冴えした眼光を座上に放った。「その説を承たまわろう、是非願いたい!」と近藤はその四角な腮を突き出した。「君は何方なんです、牛と薯、エ、薯でしょう?」と上村は知った顔に岡本の説を誘うた。「僕も矢張、牛肉党に非ず、馬・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・否、一月に一度ぐらいは引き出されて瞥見された事もあったろう、しかし要するに瞥見たるに過ぎない、かつて自分の眼光を射て心霊の底深く徹した一句一節は空しく赤い線青い棒で標点けられてあるばかりもはや自分を動かす力は消え果てていた。今さらその理由を・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・彼の犀利の眼光はこのときすでに禅宗の遁世と、浄土の俗悪との弊を見ぬき、鎌倉の権力政治の害毒を洞察していた。二十一歳のときすでに法然の念仏を破折した「戒体即身成仏義」を書いた。 その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・誰れも彼に憐れみの眼光を投げて呉れる者はなかった。看護卒は、たゞ忙しそうに、忙しいのが癪に障るらしく、ふくれッ面をして無慈悲にがたがたやっていた。昨日まで同じ兵卒だったのが、急に、さながら少尉にでもなったように威張っていた。「誰れも俺等・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・何せ、眼光紙背に徹する読者ばかりを相手にしているのだから、うっかりできない。あんまり緊張して、ついには机のまえに端座したまま、そのまま、沈黙は金、という格言を底知れず肯定している、そんなあわれな作家さえ出て来ぬともかぎらない。 謙譲を、・・・ 太宰治 「一歩前進二歩退却」
・・・翌る日、眼光鋭く、気品の高い老紳士が私の陋屋を訪れた。「小坂です。」「これは。」と私は大いに驚き、「僕のほうからお伺いしなければならなかったのに。いや。どうも。これは。さあ。まあ。どうぞ。」 小坂氏は部屋へあがって、汚い畳にぴた・・・ 太宰治 「佳日」
・・・それを当の松岡は(これは譬噺レニンに呆れられているという事にも気づかず、「なんだ、レニンってのは、噂ほどにも無い男だ、我輩の眼光におされてしどろもどろではないか、意気地が無い!」と断じて、悠然と引上げ、「ああ、やっぱり、ヒットラーに限る! ・・・ 太宰治 「返事」
・・・なんぞと云うのだが、この給仕頭の炬の如き眼光を以て見ても、チルナウエルを研究家だとすることは出来なかったのである。それから銀行であるが、なるほどウィインの銀行は、いてもいなくても好い役人位は置く。しかしそれに世界を漫遊させる程、おうような評・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫