・・・ つぎに着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督教に入っても同じことである。こういう人が深くはいり・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・口語体の文においてもまた恬としてこれを用いる。着意してあえて用いるのである。 そして自分で自分に分疏をする。それはこうである。古言は宝である。しかし什襲してこれを蔵しておくのは、宝の持ちぐされである。たとい尊重して用いずにおくにしても、・・・ 森鴎外 「空車」
・・・しかし私は着意して現代語にしようとするのでは無い。自然に現代語となるのである。世間ではまた現代語訳だと云うと同時に、卑俗だとしている。少くも荘重を闕いでいると認めている。しかし古言がやがて雅言で、今言がやがて俚言だとは私は感じない。私はこの・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
出典:青空文庫