東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽の私の生れた家に行かざるを得なくなった。津軽の生家では父も母も既になくなり・・・ 太宰治 「庭」
・・・るのを、うらやましく思いながら、私は金が無いのと、もう一つは気不精から、いつまでも東京の三鷹で愚図々々しているうちに、とうとう爆弾の見舞いを受け、さすがにもう東京にいるのがイヤになって、一家は妻の里へ移転した。そうして、全く百日振りくらいで・・・ 太宰治 「薄明」
・・・教育者の家に生れて、父が転任を命じられる度毎に、一家も共に移転して諸方を歩いた。その父が東京のドイツ語学校の主事として栄転して来たのは、夫人の十七歳の春であった。間もなく、世話する人があって、新帰朝の仙之助氏と結婚した。一男一女をもうけた。・・・ 太宰治 「花火」
・・・よっぽど、山の温泉にでも避難しようかと思ったが、八月には私たち東京近郊に移転する筈になっているし、そのために少しお金を残して置かなければならないのだから、温泉などへ行く余分のお金が、どうしても都合つかないのである。私は気が狂いそうになった。・・・ 太宰治 「美少女」
・・・、某会社重役の邸宅などの大きな構えが、武蔵野のなごりの櫟の大並木の間からちらちらと画のように見えるころであったが、その櫟の並木のかなたに、貸家建ての家屋が五、六軒並んであるというから、なんでもそこらに移転して来た人だろうとのもっぱらの評判で・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・正月の初めにもっと家賃の安い家を別な方面にさがして、遁げるようにして移転して行った。刑事の監視をのがれたいという腹もあった。出来るならば、この都会の群集と雑沓との中に巧みにまぎれ込んで了いたいと思った。しかしそれは矢張徒労であった。一週間と・・・ 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
・・・ 丁度この頃、彼の父は家族を挙げてミュンヘンに移転した。今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 深川の研究所が市の西郊に移転した。この新築へ初めて出かけた金曜日が雨、それから四週間か五週間つづけて金曜は天気が悪かった。耶蘇のたたりが千九百三十年後の東洋の田舎まで追究しているのかと冗談を言ったりした。ところがやっと天気のいい金曜の・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・蜂は場所が悪いから断念して外へ移転したのだろうというのである。そう云われてみればあるいはそうかもしれない。実際両側に広い空地を控えたこの垣根では嵐が吹き通したり、雨に洗われたり、人の接近する事が頻繁であったりするので蜂にとってはあまり都合の・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ 根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三十日を限りとして取払われ、深川洲崎の埋立地に移転を命ぜられた。娼家の跡は商舗または下宿屋の如きものとなったが、独八幡楼の跡のみ、其の庭園の向ヶ岡の阻崖に面して頗幽邃の趣をなし・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫