・・・全く詰らない骨頂さ、だがね、生きてると何か役に立てないこともあるまい。いつか何かの折があるだろう、と云う空頼みが俺たちを引っ張っているんだよ」 私は全っ切り誤解していたんだ。そして私は何と云う恥知らずだったろう。 私はビール箱の衝立・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 釣りあげられた河豚は腹を立てて、まん丸く、フットボールのようにふくらんだ。これを船底にたたきつけると、パチンと腹の皮が破裂するのだが、それも可哀そうなのでほっておいた。ところが、いつまで経ってもふくれあがったままで怒っている。友人が笑・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云うのがあるが、爺いさん、あれはおめえやらないがいいぜ。第一道・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・但だ、自分が其の間に種々と考えて見ると、一体、自分の立てた標準に法って翻訳することは、必ずしも出来ぬと断言はされぬかも知れぬが、少くとも自分に取っては六ヶ敷いやり方であると思った。何故というに、第一自分には日本の文章がよく書けない、日本の文・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・あなたをお呼掛け申しまする、お心安立ての詞を、とうとう紙の上に書いてしまいました。あれを書いてしまいましたので、わたくしは重荷を卸したような心持がいたします。それにあなたがわたくしの所へいらっしゃった時の事を、まるでお忘れになるはずは無いよ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ええ、声を立てようにも声も立てられぬわい。(へたへたと尻餅命の空気が脱け出てしまうような。どうぞ帰ってくれい。誰がお前を呼んだのか。帰れ帰れ。誰がお前をこの内に入れたのか。死。立て。その親譲りの恐怖心を棄ててしまえ。わしは何もそう気味の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子で、喘ぎ喘ぎ頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様が立ってござるので、その地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるよう六道の辻へ目じるしの札を立てて下さいませ、この願いが叶いましたら・・・ 正岡子規 「犬」
・・・みちから一間ばかり低くなって蘆をこっちがわに塀のように編んで立てていたのでいままで気がつかなかったのだ。老人は蘆の中につくられた四角なくぐりを通って家の横に出た。二人はみちから家の前におりた。(とき、とき、お湯持って来老人は叫んだ。家の・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・南向の硝子窓に向って机、椅子、右手の襖際に木箱を横にした上へ布をかけこれは茶箪笥の役に立てる。電燈に使い馴れた覆いをかけると、狭い室内は他人の家の一部と思えないような落付きをもった。陽子は、新らしい机の前にかけて見た。正面に夜の硝子窓があっ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
出典:青空文庫