・・・結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終るという事は昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか考えて見れば分る話である。かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化の趨勢だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々の・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 3 私の物語は此所で終る。だが私の不思議な疑問は、此所から新しく始まって来る。支那の哲人荘子は、かつて夢に胡蝶となり、醒めて自ら怪しみ言った。夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるかと。この一つの古い謎は、千・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 各々が受持った五本又は七本の、導火線に点火し終ると、駈足で登山でもするように、二方の捲上の線路に添うて、駆け上った。 必要な掘鑿は、長四方形に川岸に沿うて、水面下六十尺の深さに穴を明ける仕事であった。 だから、捲上の線は余分な・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・我輩とても敢て多弁を好むに非ざれども、唯徒に婦人の口を噤して能事終るとは思わず。在昔大名の奥に奉公する婦人などが、手紙も見事に書き弁舌も爽にして、然かも其起居挙動の野鄙ならざりしは人の知る所なり。参考の価ある可し。左れば今の女子を教うるに純・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・除外三人に及べばその半勝負は終るなり。故に攻者は除外三人に及ばざる内に多く廻了せんとし防者は廻了者を生ぜざる内に三人の除外者を生ぜしめんとす。除外三人に及べば防者代りて攻者となり攻者代りて防者となる。かくのごとくして再び除外三人を生ずればす・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・五時間目が終わると、一郎と嘉助と佐太郎と耕助と悦治と三郎と六人で学校から上流のほうへ登って行きました。少し行くと一けんの藁やねの家があって、その前に小さなたばこ畑がありました。たばこの木はもう下のほうの葉をつんであるので、その青い茎が林のよ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・特に、最後の場面で再び女万歳師となったおふみ、芳太郎のかけ合いで終る、あのところが、私には実にもう一歩いき進んだ表現をとのぞまれた。このところは、恐らく溝口氏自身も十分意を達した表現とは感じていないのではなかろうか。勿論俳優の力量という制約・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ かれはその食事をも終わることができなく、嘲笑一時に起こりし間を立ち去った。 かれは恥じて怒って呼吸もふさがらんばかりに痛憤して、気も心もかきむしられて家に帰った。元来を言えばかれは狡猾なるノルマン地方の人であるから人々がかれを詰っ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・予が主筆のために説かんと約した鴎外漁史の事は此に終る。しかし予は主筆に、予をして猶暫く語らしめん事を願う。想うにこの文を読むものは予に対って、汝は汝の分身たる鴎外の死んだのを見て、奈何の観を作すかと問うであろう。予はただ笑止に思うに過ぎぬ。・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ 安次は食べ終ると暫く缶詰棚を眺めながら、「しびは美味いもんや。」とひとり言を云った。 煙は又風呂場の方から巻き込んで来た。お霜は洗濯竿の脱れた音を聞きつけて立ち上った。「お霜さん。煙草一ぷく吸わしてくれんかな。」「安次・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫