・・・腐れた肺が呼吸に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響であろう――傘の古骨が風に軋むように、啾々と不気味に聞こえる。「しいッ、」「やあ、」 しッ、しッ、しッ。 曳声を揚げて……こっちは陽気だ。手頃な丸太棒を・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・お薬を頂いて、それでまあ熱を取るんですが、日に四度ぐらいずつ手巾を絞るんですよ。酷いじゃありませんか。それでいて痰がこう咽喉へからみついてて、呼吸を塞ぐんですから、今じゃ、ものもよくは言えないんでね、私に話をして聞かしてと始終そういっちゃあ・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・……そのまま忍寄って、密とその幕を引なぐりに絞ると、隣室の障子には硝子が嵌め込になっていたので、一面に映るように透いて見えた。ああ、顔は見えないが、お澄の色は、あの、姿見に映った時とおなじであろう。真うつむけに背ののめった手が腕のつけもとま・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・――そうでなくて、いかに悲痛な折からでも、若い女が商いに出てまで、客の前で紙を絞るほど涙を流すのはちと情に過ぎる。大方は目の煩いだろう。 トラホームなぞだと困る、と、その涙をとにかく内側へ深く折込んだ、が。――やがて近江屋へ帰って、敷石・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・小宮山さんと一所だと言う、体は雨に濡れてびっしょり絞るよう、話は後からと早速ここへ連れて来たが、あの姿で坐っていた、畳もまだ湿っているだろうよ。」 と篠田はうろうろしてばたばた畳の上を撫でてみまする。この様子に小宮山は、しばらく腕組をし・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・けっして割のわるい話ではない――と、結局、彼等は乾いた雑巾を絞るようにして、二百円の金を工面せざるを得なかった。 その結果集まった金が六千円、うち装飾品の実費一軒あたり七十円に無代進呈の薬の実費が十円すなわち三十軒分で二千四百円をひいた・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 三年経てば、妹の道子は東京の女子専門学校を卒業する、乾いた雑布を絞るような学資の仕送りの苦しさも、三年の辛抱で済むのだと、喜美子は自分に言いきかせるのであった。 両親をはやく失って、ほかに身寄りもなく、姉妹二人切りの淋しい暮しだっ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・ 一事が万事、登勢の絞る雑巾はすべて乾いていたのだ。姑は中風、夫は日が一日汚い汚いにかまけ、小姑の椙は芝居道楽で京通いだとすれば、寺田屋は十八歳の登勢が切り廻していかねばならぬ。奉公人への指図はもちろん、旅客の応待から船頭、物売りのほか・・・ 織田作之助 「螢」
・・・祈っても駄目だ、この病的な生活を洗い浄めて練歯磨の匂いのように新鮮なすがすがしい健康な生活をしなければならぬと、さまざまに思い描き乾いた雑巾を絞るような努力もしてみるのだが、その夜の道がそうした努力をすべて空しいものにしてしまうのである。な・・・ 織田作之助 「道」
・・・ ふらふら歩いていた松木は、疲れた老馬が鞭のために、最後の力を搾るように、また、銃を引きずって、向うへ馳せ出した。「おい、松木!」中隊長は呼び止めた。「道を探すだけでなしに、パルチザンがいやしないか、家があるか、鉄道が見えるか、よく・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫