・・・小猫などは、折さえあると夜昼かまわずスバーの膝にとび上り心持よさそうに丸まって、彼女が柔かい指で背中や頸を撫で撫で寝かしつけて呉れるのを、何より嬉しそうにします。 スバーは、此他もう少し高等な生きものの中にも一人の仲間を持っていました。・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・ 佐吉さんは何も言わず、私の背中をどんと叩きました。そのまま一夏を、私は三島の佐吉さんの家で暮しました。三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る隈なく駈けめぐり、清冽・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・中尉はくるりと背中を向けて、同僚と一しょに店を出て行った。 門口に出ると、旆騎兵中尉が云った。「あれは誰だい。君に、君だの僕だのという、あの小男は。」「僕と話をする時、君僕と云う男を一々覚えていられるものか。」尤もである。竜騎兵・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・見たところ元気のいい子で、顔も背中も渋紙のような色をして、そして当時流行っていた卑猥な流行唄を歌いながら丸裸の跣足で浜を走り廻っていた。 同じ宿に三十歳くらいで赤ん坊を一人つれた大阪弁のちょっと小意気な容貌の女がいた。どういう人だかわれ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・う、う、と唸りながら起きあがると、毛を逆だてて、背中をふくらませて近寄ってきた。私が一と足さがると二た足寄ってくる。二た足さがると三足寄ってくる。私はもう声が出ない。重い桶をになっているから自由もきかない。私が半分泣声になって叫ぶと、とたん・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 般若の留さんというのは背中一面に般若の文身をしている若い大工の職人で、大タブサに結った髷の月代をいつでも真青に剃っている凄いような美男子であった。その頃にはまだ髷に結っている人も大分残ってはいたが、しかし大方は四十を越した老人ばかりな・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・と好いのね、あんまり髭が生えているから病人らしいのよ。あら頭にはねが上っててよ。大変乱暴に御歩行きなすったのね」「日和下駄ですもの、よほど上ったでしょう」と背中を向いて見せる。御母さんと露子は同時に「おやまあ!」と申し合せたような驚き方・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、辮髪の豚尾を背中に長くたらしていた。その辮髪は、支那人の背中の影で、いつも嘆息深く、閑雅に、憂鬱に沈思しながら、戦争の最中でさえも、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・と同時に彼の足は小荷物台から攫われて、尻や背中でゴツンゴツンと調子をとりながら、コンクリートの上へ引きずり下された。 汽車は静に動き出した。両方の乗降口に立っていた制服巡査は飛び下りた。 思わず、彼は深い吐息をついた。そして、自・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・もう仕方がないとあきらめると、つめたい風が森の中から出て電気燈の光にまじって来るので、首巻を鼻までかけて見たが直に落ちてしまう、寒さは寒し、急に背中がぞくぞくして気分が悪くなったからただうつむいたばかりで首もあげぬ。早く内へ帰れば善いとばか・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
出典:青空文庫