・・・あれではまるでこっちの親類を背景にして、ふみ江さんをもらったようなもんだからな」「え、あの人両親の前では、何にも言えないんです」「しかし、もうそうなっちゃ、どちらもおもしろくなかろう。動機がお互いに不純だから、とうていうまくゆくまい・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺すのと騒いだ彼らも、五十年後の今日から歴史の背景に照らして見れば、畢竟今日の日本を造り出さんが・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・雁の篇中に現れ来る人物と其背景とは明治十五六年代のものであろう。先生の大学を卒業せられたのは明治十七年であったので、即春の家主人が当世書生気質に描き出されたものと時代を同じくしているわけである。小説雁の一篇は一大学生が薄暮不忍池に浮んでいる・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 両国橋には不朽なる浮世絵の背景がある。柳橋は動しがたい伝説の権威を背負っている。それに対して自分は艶かしい意味においてしん橋の名を思出す時には、いつも明治の初年返咲きした第二の江戸を追想せねばならぬ。無論、実際よりもなお麗しくなお立派・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・僅一行の数字の裏面に、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗とが潜んでいる。 従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束するものである。経験の・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・ 日高君の説によると、コンラッドは背景として自然を用いたのではない、自然を人間と対等に取扱ったのである、自然の活動が人間の活動と相交渉し、相対立する場合を写した作物である。これを主客顛倒と見るのは始めから自然は客であるべきはずとの僻目か・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 大変親愛なのは、宗達がそのように背景をなす自然を様式化して扱いながら、その前に集散し行動している人々の群や牛などを、いかにも生気にみちた写生をもとにしているところである。 眺めていると、きよらかな海際の社頭の松風のあいだに、どこや・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・正面の背景になっている、濃い褐色に光っている戸棚の板戸の前に、煎餅布団を敷いて、病人が寝かしてある。家族の男女が三四人、涅槃図を見たように、それを取り巻いている。まだ余りよごれていない、病人の白地の浴衣が真白に、西洋の古い戦争の油画で、よく・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・しかし日本絵の具で絹の上に、あるいは金箔の上に、洋画の静物の背景のようなムラのある塗り方をしたらどうなるだろう。それが不可能であることを承知していればこそ、日本画家はそれを避けるのではないか。そうして実際の印象とは縁の遠い、ムラのない単色の・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫