・・・疑いだすと果しがないけれども、いったい、彼にはどのような音楽理論があるのか、ヴァイオリニストとしてどれくらいの腕前があるのか、作曲家としてはどんなものか、そんなことさえ私には一切わかって居らぬのだ。馬場はときたま、てかてか黒く光るヴァイオリ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・その日常生活に於て、やたらに腕力をふるうのは、よろしくないが、けれどもひそかに武技を練磨し、人に知られず剣道七段くらいの腕前になっていたら、いいだろうなあ。(先生も、学生も、そろって深い溜息いや、しかし之は、閑人のあこがれに終らせてはいけな・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・けれどもこんな心細い腕前で「主客共に清雅の和楽を尽さん」と計るのも極めて無鉄砲な話であると思った。所詮理想主義者は、その実行に当ってとかく不器用なもののようであるが、黄村先生のように何事も志と違って、具合いが悪く、へまな失敗ばかり演ずるお方・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・この葛藤に伴なう多くの美しい感傷の場面の連続によって観客の感興をつなぎつつ最後の頂点に導いて行く監督の腕前はそんなに拙であると思われないようである。しかしそういう劇的な脚色の問題とは離れて、前記の「実験」の意味からいうと、本筋のストーリーよ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・あるいはそこまでに学者の腕前に対する信用が高められないためかもしれない。そうだとすればその責任がどっちにどれだけあるか、それもよく分からない。しかし、いずれの場合にしても、例えばある会社の研究員が、その会社の商品の欠点を仔細に研究して、その・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・進んだる世の中に、もっとも進んだる眼識を具えた男――特に文学者としてではない、一般人間としてこの方面に立派な腕前のある男――でなければ手は出せぬはずであります。世の中はそう思っておりません。何の小説家がと、小説家をもってあたかも指物師とか経・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 世禄の武家にしてかくの如くなれば、その風はおのずから他種族にも波及し、士農工商、ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男に帰し、長少の序も紊れざるが如くに見えしものが、近年にいたりてはいわゆる腕前の世となり、才力さえあれば立身出世勝手次・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・若い時分は孤児で乞食をして生き、レース編みを覚えてからはその勝れた腕前で食っていた祖母は、どん底の閲歴の中から不思議な程暖い慾心のない親切と人間の智慧のねうちに対する歪められない信頼とを身につけていた。民謡を上手に唄い、太った体つきのくせに・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫