・・・己が肉身は、三身即一の本覚如来、煩悩業苦の三道は、法身般若外脱の三徳、娑婆世界は常寂光土にひとしい。道命は無戒の比丘じゃが、既に三観三諦即一心の醍醐味を味得した。よって、和泉式部も、道命が眼には麻耶夫人じゃ。男女の交会も万善の功徳じゃ。われ・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・丹塗の天狗に、緑青色の般若と、面白く鼻の黄なる狐である。魔とも、妖怪変化とも、もしこれが通魔なら、あの火をしめす宮奴が気絶をしないで堪えるものか。で、般若は一挺の斧を提げ、天狗は注連結いたる半弓に矢を取添え、狐は腰に一口の太刀を佩く。 ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・百姓には珍らしく、からだつきがほっそりして、色が白く、おとなになったら顔がちょっとしゃくれて来て、悪く言えば般若面に似たところもありましたが、しかし、なかなかの美人という町の評判で、口数も少く、よく働き、それに何よりも、私に全然れいのこだわ・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ 般若の留さんというのは背中一面に般若の文身をしている若い大工の職人で、大タブサに結った髷の月代をいつでも真青に剃っている凄いような美男子であった。その頃にはまだ髷に結っている人も大分残ってはいたが、しかし大方は四十を越した老人ばかりな・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・その次はすっかり変って般若の面が小く見えた。それが消えると、癩病の、頬のふくれた、眼を剥いだような、気味の悪い顔が出た。試にその顔の恰好をいうと、文学者のギボンの顔を飴細工でこしらえてその顔の内側から息を入れてふくらました、というような具合・・・ 正岡子規 「ランプの影」
出典:青空文庫