・・・その著るしきは先年の展覧会に出品された広野健司氏所蔵の花卉の図の如き、これを今日の若い新らしい水彩画家の作と一緒に陳列しても裕に清新を争う事が出来る作である。 椿岳の画はかくの如く淵原があって、椿年門とはいえ好む処のものを広く究めて尽く・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 三 熱帯魚 百貨店の花卉部に熱帯魚を養ったガラス張りの水槽が並んでいる。暑いある日のことである。どう見ても金持ちらしい五十格好のあぶらぎった顔をした一人の顧客が、若い店員を相手にして何か話している。水槽につけた紙札・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・例えば光琳の草木花卉に対するのでも、歌麿や写楽の人物に対するのでもそうである。こういう点で自分が特に面白く思うのは古来の支那画家の絵である。尤も多くはただ写真などで見るばかりで本物に接する事は稀であるが、それだけでも自分は非常な興味を感じさ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・西洋でも花瓶に花卉を盛りバルコンにゼラニウムを並べ食堂に常緑樹を置くが、しかし、それは主として色のマッスとしてであり、あるいは天然の香水びんとしてであるように見える。「枝ぶり」などという言葉もおそらく西洋の国語には訳せない言葉であろう。どん・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・きわめて卑近の一例を引いてみれば、庭園の作り方でも一方では幾何学的の設計図によって草木花卉を配列するのに、他方では天然の山水の姿を身辺に招致しようとする。 この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 六階で以前のままなものは花卉盆栽を並べた温室である。自分は三越へ来てこの室を見舞わぬ事はめったにない。いつでも何かしら美しい花が見られる。宅の庭には何もなくなった霜枯れ時分にここへ来ると生まれかわったようにいい心持ちがする。一階から五・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・附近一帯の大地主である××では、石塀をめぐらした主家のまわりに、米やと花卉栽培とをやる家があって、赤いポストが米屋の前に立っている。そこでは、切手も売るのであった。札のかかっている横を入って菊畑へ行ってみたらば、そこの棚にのって飾られている・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・と思った。花卉として東京でいつ頃から弄ばれているか知らない。とにかくサフランを売る人があると云うことだけ、この時始て知った。 この旅はどこへ往った旅であったか知らぬが、朝旅宿を立ったのは霜の朝であった。もう温室の外にはあらゆる花と云う花・・・ 森鴎外 「サフラン」
出典:青空文庫