・・・の一場面で食卓の上にすみれの花を満載した容器が置いてある、それをアリアーネが鼻をおっつけて香をかいだりいじり回したりするのであるが、はじめは自分にはそれがなんだかよくわからなくて、葡萄でも盛ったくだもの鉢かと思っていた。そのうちに女がまたこ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・むかしから東京の人が口にし馴れた果物は、西瓜、真桑瓜、柿、桃、葡萄、梨、粟、枇杷、蜜柑のたぐいに過ぎなかった。梨に二十世紀、桃に白桃水蜜桃ができ、葡萄や覆盆子に見事な改良種の現れたのは、いずれも大正以後であろう。 大正の時代は今日よりし・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・われわれは新しい流行の帽子を買うためにも、遠い国から来た葡萄酒を買うためにも、無論この銀座へ来ねばならぬが、それと同時に、有楽座などで聞く事を好まない「昔」の歌をば、なりたけ「昔」らしい周囲の中に聞き味おうとすればやはりこの辺の特種な限られ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・婆さんの話しによると昔は桜もあった、葡萄もあった。胡桃もあったそうだ。カーライルの細君はある年二十五銭ばかりの胡桃を得たそうだ。婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・そして隠しからパンを一切と、腸詰を一塊と、古い薬瓶に入れた葡萄酒とを取出して、晩食をしはじめた。 この時自分のいる所から余り遠くない所に、鈍い、鼾のような声がし出したので、一本腕は頭をその方角に振り向けた。「おや。なんだ。爺いさん。・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・仏蘭西の南部は葡萄の名所にして酒に富む。而してその本部の人民にははなはだしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が、南部に遊び、またこれに移住するときは、葡萄の美酒に惑溺して自からこれを禁ずるを知らず、ついにその財産生命をもあわせて失う者あ・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・この際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉が渇いて全く潤いのない事を感じたから、用意のために枕許の盆に載せてあった甲州葡萄を十粒ほど食った。何ともいえぬ旨さであった。金茎の露一杯という心持がした。かくてようように眠りがはっきりと覚めた・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・学校から纏めて注文するというので僕は苹果を二本と葡萄を一本頼んでおいた。四月九日〔以下空白〕一千九百廿五年五月五日 晴まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・液汁は、芳醇とまではゆかないにせよ、とにかく長年の間くさりもしないで発酵していた葡萄のつゆであった。「播州平野」と「風知草」とは、作者が戦争によって強いられていた五年間の沈黙ののちにかかれ、発表された。主題とすれば、一九三二年以来、作者・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・学生は料理屋へ大晦日の晩から行っていまして、ボオレと云って、シャンパンに葡萄酒に砂糖に炭酸水と云うように、いろいろ交ぜて温めて、レモンを輪切にして入れた酒を拵えて夜なかになるのを待っています。そして十二時の時計が鳴り始めると同時に、さあ新年・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫