・・・が、家を尋ねると、藤堂伯爵の小さな長屋に親の厄介となってる部屋住で、自分の書斎らしい室さえもなかった。緑雨のお父さんというは今の藤堂伯の先々代で絢尭斎の名で通ってる殿様の准侍医であった。この絢尭斎というは文雅風流を以て聞えた著名の殿様であっ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・裏は、人力車一台やっと通る細道が曲りくねって、真田男爵のこわい竹藪、藤堂伯爵の樫の木森が、昼間でも私に後を振返り振返りかけ出させた。 袋地所で、表は狭く却って裏で間口の広い家であったから、勝ち気な母も不気味がったのは無理のない事だ。又実・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ 裏通りは藤堂さんの森をめぐって、細い通が通っており、その道を歩けばからたちの生垣越しに、畑のずいきや莓がよく見えた。だから莓の季節には、からたちの枝を押しわけて、子供が莓盗人に這いこんだりしたが、夜になれば淋しい淋しい道で、藤堂さんの・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・そればかりか、藤堂さんの森のぐるりを囲むのもからたち垣だった。この森では、つい先年まで梟が鳴いた。空襲がはじまってから、どういうレイダアのお告げだったのか、藤堂さんのところに先ず爆弾がおちて、ほんの僅かの距離しかないうちのゆずり葉の下の壕に・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・うちの裏門を出て、夜になるとふくろうの鳴く藤堂さんの森のくらい横丁をまわって動坂のとおりへ出ると、ばら新といって、ばらばかり育てているところがある。魚屋だの米や、荒物やだのの並んだせまいそのとおりをすこし行って左へ曲ると、じき養源寺があった・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・いつか村上さんと親しくなって、おばあさんが直ぐ近くの藤堂さんという華族の樫林の裏にいるのがわかってからは、互に往き来もし、日に一遍は会わずにいられないようになった。上の学校への入学試験準備はその頃からもうひどくて、六年生は二学期から、放課後・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・松尾宗房と云い、伊賀国上野町の城代藤堂家の家臣で、少年から青年時代のはじまりはその城代の嫡子の近侍をしていた。既にその時代、俳諧は大流行していて若殿自身蝉吟という俳号をもって、談林派の俳人季吟の弟子であった。宗房もその相手をし早くから俳諧に・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫