・・・ 発行所の下の座敷には島木さん、平福さん、藤沢さん、高田さん、古今書院主人などが車座になって話していた。あの座敷は善く言えば蕭散としている。お茶うけの蜜柑も太だ小さい。僕は殊にこの蜜柑にアララギらしい親しみを感じた。 島木さんは大分・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・こちの人は、京町の交番に新任のお巡査さん――もっとも、角海老とかのお職が命まで打込んで、上り藤の金紋のついた手車で、楽屋入をさせたという、新派の立女形、二枚目を兼ねた藤沢浅次郎に、よく肖ていたのだそうである。 あいびきには無理が出来る。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ たとえば、谷崎潤一郎氏の書く大阪弁、宇野浩二氏の書く大阪弁、上司小剣氏の書く大阪弁、川端康成氏の書く大阪弁、武田麟太郎氏の書く大阪弁、藤沢桓夫氏の書く大阪弁、それから私の書く大阪弁、みな違っている。いちいち例をあげてその相違をあげると・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 藤沢元気……? 大阪はどう? 『カスタニエン』という店知ってる?」 などときいたあと、いきなり、「――僕が大阪にごろごろしてた時の話だが……」 と、この話をしたのである。 そして、自分からおかしそうに噴きだしてのけ反らんば・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・しかし最も残念なのは、武田さんの無二の親友である藤沢さんであろう。新聞で武田さんの死を知った時、私は一番先きに想い出したのは藤沢さんのことであった。私は藤沢さんを訪ねるとか、手紙を出すかして、共に悲哀を分とうと思ったが、仕事にさまたげられた・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・会う機会を得た作家は、会うた順に言うと、藤沢、武田、久米、片岡、滝井、里見の諸氏。最近井上友一郎氏に会い、その大阪訛をきいて、嬉しかった。 小説の勉強をはじめてからまだ四年くらいしか経たない。わが文学修業はこれからである。健康が許せば、・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・「藤沢江の島間電車九月一日開通、衝突脱線等あり、負傷者数名を出す」という文句の脇に「藤沢停車場前角若松の二階より」とした実に下手な鉛筆のスケッチがある。 逗子養神亭から見た向う岸の低い木柵に凭れている若い女の後姿のスケッチがある。鍔・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・先生の顔が非常にやさしくなつかしく思われた。藤沢先生もソッと這入って来られたから挨拶しようとするのを手で押える真似をして脚元の椅子に腰をかけておられた。 床の上に寝て仰ぎ見るすべての人の顔が非常に高い所にあるように思われた。そしてすべて・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・ A、浅草、藤沢をたずぬ、A、浅草にゆく。さいの弟の避難先、寺田氏の避難先をわからせる。 十日 雨 さい、妹と二人赤羽に行き、到頭弟が北千住に行ったことを確む。 国男自動車で藤沢を通り倉知一族と帰京、基ちゃん報知に来てく・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
出典:青空文庫