・・・ 清水はひとり、松の翠に、水晶の鎧を揺据える。 蝉時雨が、ただ一つになって聞えて、清水の上に、ジーンと響く。 渠は心ゆくばかり城下を視めた。 遠近の樹立も、森も、日盛に煙のごとく、重る屋根に山も低い。町はずれを、蒼空へ突出た・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・滝かと思う蝉時雨。光る雨、輝く木の葉、この炎天の下蔭は、あたかも稲妻に籠る穴に似て、もの凄いまで寂寞した。 木下闇、その横径の中途に、空屋かと思う、廂の朽ちた、誰も居ない店がある…… 四 鎖してはないものの、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・落葉松の林中には蝉時雨が降り、道端には草藤、ほたるぶくろ、ぎぼし、がんぴなどが咲き乱れ、草苺やぐみに似た赤いものが実っている、沢へ下りると細流にウォータークレスのようなものが密生し、柵囲いの中には山葵が作ってある。沢の奥の行きづまりには崩れ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・そうすると、きっと蝉時雨の降る植物園の森の裏手の古びたペンキ塗りの洋館がほんとうに夢のように記憶に浮かんで来る。 寺田寅彦 「二十四年前」
出典:青空文庫