・・・久しぶりに和田と顔を合せると、浅草へ行こうというじゃないか? 浅草はあんまりぞっとしないが、親愛なる旧友のいう事だから、僕も素直に賛成してさ。真っ昼間六区へ出かけたんだ。――」「すると活動写真の中にでもい合せたのか?」 今度はわたし・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・幾度も妹のいる方へ泳いで行こうかと思いました。けれども私は悪い人間だったと見えて、こうなると自分の命が助かりたかったのです。妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流されて命がないのは知れ切っていました。私はそれが恐ろしかったのです。何しろ早く岸・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・嫁に行こうとする女であった。…… 指の細く白いのに、紅いと、緑なのと、指環二つ嵌めた手を下に、三指ついた状に、裾模様の松の葉に、玉の折鶴のように組合せて、褄を深く正しく居ても、溢るる裳の紅を、しめて、踏みくぐみの雪の羽二重足袋。幽に震え・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 村の或家さ瞽女がとまったから聴きにゆかないか、祭文がきたから聴きに行こうのと近所の女共が誘うても、民子は何とか断りを云うて決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾物があるからとの事で、例の向うのお浜や隣のお仙等が大騒ぎして見にゆくというに・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「それでは二階へ行こか?」「まア、鳥渡待っておくれやす」と、細君は先ず僕等の寝床を敷きにあがった。僕等は暫くしてあがった。 家は古いが、細君の方の親譲りで、二階の飾りなども可なり揃っていた。友人の今の身分から見ると、家賃がいらな・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・が、率ざ何処かへ何か食べに行こうとなるとなかなか厳ましい事をいった。三日に揚げずに来るのに毎次でも下宿の不味いものでもあるまいと、何処かへ食べに行かないかと誘うと、鳥は浜町の筑紫でなけりゃア喰えんの、天麩羅は横山町の丸新でなけりゃア駄目だの・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ほかの人もアメリカへ金もらいに行くから私も行こう、他の人も壮士になるから私も壮士になろう、はなはだしきはだいぶこのごろは耶蘇教が世間の評判がよくなったから私も耶蘇教になろう、というようなものがございます。関東に往きますと関西にあまり多くない・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・私は、山に入って、琵琶滝と澗満の滝を見に行こうと出かけた。足許の草花は既に咲き乱れていた。而して、虫の音は悲しげに聞かれた。 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・と小僧は目をパチクリさせて、そのまま下りて行こうとする。「あれ、なぜ黙って行くのさ。呼んだのは何の用だい?」「へい、お客様で……こないだ馬の骨を持って来たあの人が……」「何、馬の骨だって?」と新造。「いいえ、きっとあの金さん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫