・・・千駄木にいられた頃だったか、西園寺さんの文士会に出席を断って、面白い発句を作られたことがある……その句は忘れたが、何でもほととぎすの声は聞けども用を足している身は出られないというような意味のことだった。 * 夏目さん・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・明治四十一年首相西園寺公望が、文士を招待して雨声会を催した時、漱石はその招待を「時鳥厠なかばに出かねたり」の一句を送って出席しなかった。漱石は日本の伝統である官尊民卑が文学の領域にまで浸潤することを快く思わなかったのであろう。感想に、文学の・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・ 昔、西園寺公が夏目漱石を筆頭に、文壇的名士を招待したことがあった。その時、漱石は、句は忘れたが、折角ほととぎすが鳴いているが、惜や自分は厠の中で出るに出られぬという意味の一首を送って、欠席したという話がある。その時、漱石は仕事がひどく・・・ 宮本百合子 「文壇はどうなる」
・・・そして更に時の首相陶庵公が序文を附したゾラの一訳書が、西園寺内閣の内務大臣によって発禁されたこともあった」 当時「文芸委員会」の委員であった諸氏の内には、もとより混り気のない心持で、日本の美風良俗をいかがわしい自然主義の傾向から守ろうと・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
・・・また西園寺首相の招待を断わって新聞をにぎわせた。そういうことから私たちは漱石が権門富貴に近づくことをいさぎよしとしない人であるように思い込んでいた。またそれが私たちにとって漱石の魅力の一つであった。しかし漱石は、いつだったかそういうことが話・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫