・・・燦爛かなる扮装と見事なる髭とは、帳場より亭主を飛び出さして、恭しき辞儀の下より最も眺望に富みたるこの離座敷に通されぬ。三十前後の顔はそれよりも更けたるが、鋭き眼の中に言われぬ愛敬のあるを、客擦れたる婢の一人は見つけ出して口々に友の弄りものと・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 心の弱い者が悪事を働いた時の常として、何かの言訳を自分が作らねば承知の出来ないが如く、自分は右の遺失た人の住所姓名が解るや直ぐと見事な言訳を自分で作って、そして殆ど一道の光明を得たかのように喜こんだ。 一先拝借! 一先拝借して自分・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・それは、見事な癇高いうなり声をあげて回転する独楽のように、そこら中を、はげしくキリキリとはねまわった。「や、あいつは手負いになったぞ。」 彼等は、しばらく、気狂いのようにはねる豚を見入っていた。 後藤は、も一発、射撃した。が、今・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・「ヤ、あの鶏は実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲も有りはしなかったのですがネ。」と謙遜の布袋の中へ何もかも抛り込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあれば好いというのなら・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ 布施は髪を見事に分けていた。男らしいうちにも愛嬌のある物の言振で、「私は中学校に居る時代から原先生のものを愛読しました」「この布施君は永田君に習った人なんです」と相川は原の方を向いて言った。「永田君に?」と原は可懐しそうに。・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・「先生、見事な緋鯉でしょう?」「見事だね。」すぐ次にうつる。「先生、これ鮎。やっぱり姿がいいですね。」「ああ、泳いでるね。」次にうつる。少しも見ていない。「こんどは鰻です。面白いですね。みんな砂の上に寝そべっていやがる。・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・注連飾などが見事に出来て賑やかな笑声が其処此処からきこえて来た。 しかし勇吉はじっとしてはいられなかった。正月の初めにもっと家賃の安い家を別な方面にさがして、遁げるようにして移転して行った。刑事の監視をのがれたいという腹もあった。出来る・・・ 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
・・・一回の見事な実験はそれだけでもう頭の蒸餾瓶の中で出来た公式の二十くらいよりはもっと有益な場合が多い。やっと現象の世界に眼のあきかけた若いものの頭に公式などは一切容赦してやらねばいけない。公式は、丁度世界歴史の年代の数字と同様に、彼等の物理学・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着物が、秋晴れの日向に干されたりしているのを見る時、何となく目あたらしく、いかにも郊外の生活ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・七円五十銭の家賃の主人なんざあ、主人にしたところが見事な主人じゃない。主人中の属官なるものだあね。主人になるなら勅任主人か少なくとも奏任主人にならなくっちゃ愉快はないさ。ただ下宿の時分より面倒が殖えるばかりだ」と深くも考えずに浮気の不平だけ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫