・・・日記や随筆と変らぬ新人の作品が、その素直さを買われて小説として文壇に通用し、豊田正子、野沢富美子、直井潔、「新日本文学者」が推薦する「町工場」の作者などが出現すると、その素人の素直さにノスタルジアを感じて、狼狽してこれを賞讃しなければならぬ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
青森には、四年いました。青森中学に通っていたのです。親戚の豊田様のお家に、ずっと世話になっていました。寺町の呉服屋の、豊田様であります。豊田の、なくなった「お父さ」は、私にずいぶん力こぶを入れて、何かとはげまして下さいまし・・・ 太宰治 「青森」
・・・という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、それから、あなたの作品を捜して読む癖がついて、いろいろ読んでいるうちに、あなたが私の中学校の先輩であり、またあなたは中学時代に青森の寺町の豊田さんのお宅にいらしたのだと言う事を知り、胸のつ・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・新しいヒューマニズム、その能動精神、その行動性という観念がよろこび迎えられて、間もなく雑誌『行動』がうまれ、舟橋聖一、豊田三郎その他の人々が、能動精神の文学をとなえはじめた。 一方では、前年ヴェノスアイレスの国際ペンクラブ大会に日本代表・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・こういう有様であったから小松清が、第一回文化擁護国際作家大会の議事録を翻訳紹介して日本にも平和と文化を守る広い人民戦線運動をおこそうとしても、なんのまとまった運動にもならず、舟橋聖一、豊田三郎などの人々によって「能動精神」とか「行動主義の文・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・舟橋聖一、小松清、豊田三郎の諸氏で、これらの人々は雑誌『行動』によって行動の文学を創らんとしたのであった。 彼等は作家のより広汎な社会生活と生活に対する積極性と若き時代のモラルとを自身に求めたのであった。けれども、第一これらの人々が社会・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・舟橋聖一、豊田三郎、小松清等の諸氏によって提唱されはじめた「行動主義文学」の理論である。 雑誌『行動』も発刊され、「行動主義」文学の提唱者は、「不安の文学」という合言葉の代りに、生活と文学とにおける「能動精神」の主張を以て現れたのである・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・が雑誌『行動』を中心として、舟橋聖一、豊田三郎、田辺茂一等によって提唱された。 満州事変以来四年を経て、その年は日本の文化が新たに遭遇しなければならないめぐり合わせについて、美濃部達吉博士の問題その他をめぐって、一層痛切に感じられた時で・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 豊田正子の「綴方教室」小川正子の「小島の春」などが、この波頭であった。これらの本は、文学では生産文学、素材主義の文学が現れて生活の実感のとぼしさで人々の心に飢渇を感じさせはじめた時、玄人のこしらえものよりも、素人の真実な生活からの記録・・・ 宮本百合子 「女性の書く本」
・・・ 一九三九年ごろの軍需インフレーション時代、出版インフレといわれた豊田正子『綴方教室』小川正子『小島の春』などとともに、野沢富美子という一人の少女が『煉瓦女工』という短篇集をもって注目をひいた。「煉瓦女工」は、荒々しく切なく、そして・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
出典:青空文庫