・・・』耶蘇さえ既にそう云ったではないか。賢人とは畢竟荊蕀の路にも、薔薇の花を咲かせるもののことである。 侏儒の祈り わたしはこの綵衣を纏い、この筋斗の戯を献じ、この太平を楽しんでいれば不足のない侏儒でございます。どうかわたし・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・がらりと気を替えて、こうべ肉のすき焼、ばた焼、お望み次第に客を呼んで、抱一上人の夕顔を石燈籠の灯でほの見せる数寄屋づくりも、七賢人の本床に立った、松林の大広間も、そのままで、びんちょうの火を堆く、ひれの膏をにる。 この梅水のお誓は、内の・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・――賢人の釣を垂れしは、厳陵瀬の河の水。月影ながらもる夏は、山田の筧の水とかや。――…… 十一 翌日の午後の公園は、炎天の下に雲よりは早く黒くなって人が湧いた。煉瓦を羽蟻で包んだような凄じ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・竹林の七賢人も藪から出て来て、あやうく餓死をのがれん有様、佳き哉、自ら称していう。「われは花にして、花作り。われ未だころあいを知らず。Alles oder Nichts.」 またいう。「策略の花、可也。修辞の花、可也。沈黙の花、可也。理・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ クーシューというフランス人は『アジアの詩人と賢人』と題する書物の一節において、およそ世界の中で日本人とアメリカ人と程にちがった国民は先ずないという意味のことを云っている。これには自分も同感であった。しかし事実において服装でも食物でも建・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・またこのゲンカンは竹林七賢人の一人の名だとの説もある。 ところがちょっと妙なことには、このゲンカンの文字を今のシナ音で読むとジャンシェンとなるのである。またこのコハシあるいはコフジに相当するものと思われる類似の楽器の類似の名前がヨーロッ・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・ ギリシアのどんな賢人も、今日、東洋の一人の婦人作家が、彼等の伝説について話すこんな風には自身の伝説を話さなかった。なぜなら、彼等の叡智も、ギリシア社会の自由の矛盾を客観することは不可能だったから。叡智は奴隷の労役の上につくり出された閑・・・ 宮本百合子 「なぜ、それはそうであったか」
・・・当時三十一歳の某、この詞を聞きて立腹致し候えども、なお忍んで申候は、それはいかにも賢人らしき申条なり、さりながら某はただ主命と申物が大切なるにて、主君あの城を落せと仰せられ候わば、鉄壁なりとも乗り取り申すべく、あの首を取れと仰せられ候わば、・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・当時未だ三十歳に相成らざる某、この詞を聞きて立腹致し候えども、なお忍んで申候は、それはいかにも賢人らしき申条なり、さりながら某はただ主命と申物が大切なるにて、主君あの城を落せと仰せられ候わば、鉄壁なりとも乗取り申すべく、あの首を取れと仰せら・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・百人の中に四、五人の賢人があっても目にはつかない。いざという時には、この四、五人だけが役に立ち、平生忠義顔をしていた九十五人は影をかくしてしまう。家は滅亡のほかはないのである。 第二は、利根すぎたる大将である。利害打算にはきわめて鋭敏で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫