・・・お大名から呼びに来ても往きません。贔屓のお屋敷から迎いを受けても参りません。其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるり・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・私がそれじゃ不可と言うと、そこで何時でも言合でサ……家内が、父さんは繁の贔負ばかりしている、一体父さんは甘いから不可、だから皆な言うことを聞かなくなっちまうんだ、なんて……兄の方は弱いでしょう、つい私は弱い方の肩を持つ……」 学士は頬と・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・そのためにお三輪の旦那とは合わないで、幼少な時分の新七をひどく贔屓にした。母はどれ程あの児を可愛がったものとも知れなかった。この好き嫌いの激しい母が今のお富と一緒に暮しているとしたら、そこにも風波は絶えなかったかも知れないが、しかしお三輪は・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・なんでもあの人があの役所に勤めているもんだから、芝居へ買われる時に、あの人に贔屓をして貰おうと思うのらしいわ。事によったらお前さんなんぞも留守に来て、ちょっかいを出したかも知れないわ。お前さんだってそう底抜けに信用するわけにはいかないわ。兎・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・どうして、こんなに、男を贔負するんだろ。男を、弱いと思うの。あたし、できることなら、からだを百にして千にしてたくさんの男のひとを、かばってやりたいとさえ思うわ。男は、だって、気取ってばかりいて可哀そうだもの。ほんとうの女らしさというものは、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・うまい、皆うまい、なかでもルミがうまかった、とやはり次女を贔屓した。けれども、と酔眼を見ひらき意外の抗議を提出した。「王子とラプンツェルの事ばかり書いて、王さまと、王妃さまの事には、誰もちっとも触れなかったのは残念じゃ。初枝が、ちょっと・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ ウンラートが気が狂ったのを見て八重子のポーラが妙な述懐のようなことを述べるせりふがあるが、あれはいかにも、ああした売女の役をふられた八重子自身が贔屓の観客へ対しての弁明のように響いて、あの芝居にそぐわないような気がした。ポーラはやはり・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・観客から贔屓の芸人に贈る薬玉や花環をつくる造花師が入谷に住んでいた。この人も三月九日の夜に死んだ。初め女房や娘と共に大通りへ逃げたが家の焼けるまでにはまだ間があろうと、取残した荷物を一ツなりとも多く持出そうと立戻ったなり返って来なかったとい・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・電車に乗らなければ動かないと云うほどな電車贔屓の人なら、それで満足かも知れぬが、あるいたり、ただの車へ乗ったり、自転車を用いたりするもののためには不都合この上もない事と存じます。 もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上にお・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・それ故当然作物からのみ得られべき感情が作家に及ぼして、しまいには justice という事がなくなって、贔負というものが出来る。芸人にはこの贔負が特に甚だしい。相撲なんかそれです。私の友人に相撲のすきな人があるが、この人は勝った方がすきだと・・・ 夏目漱石 「無題」
出典:青空文庫