・・・が、しばらくたったと思うと、赤子の頭に鼻を押しつけ、いつかもう静かに寝入っていた。 僕はそちらを向いたまま、説教因縁除睡鈔と言う本を読んでいた。これは和漢天竺の話を享保頃の坊さんの集めた八巻ものの随筆である。しかし面白い話は勿論、珍らし・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・しかも生憎女には乳がまるでなかったものですから、いよいよ東京を立ち退こうと云う晩、夫婦は信行寺の門前へ、泣く泣くその赤子を捨てて行きました。「それからわずかの知るべを便りに、汽車にも乗らず横浜へ行くと、夫はある運送屋へ奉公をし、女はある・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・十八を頭に赤子の守子を合して九人の子供を引連れた一族もその内の一群であった。大人はもちろん大きい子供らはそれぞれ持物がある。五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足を運びつつ泣くような雨の中をと・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・「……だすいうても、ちょっと、あんた、あんたその時分はまだ赤子だしたンやろ? えらい早熟た、赤子だしてンナ……。」 女も笑ったくらい、どこまでが本当で、どこまでが嘘か判らぬような身の上ばなしでしたが、しかし、七つの年までざっと数えて・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・相手の木村八段にまるで赤子の手をねじるようにあっけなく攻め倒されてしまったのである。敗将語らずと言うが、その敗将が語ったのがこの語であった。無学文盲で将棋のほかには全くの阿呆かと思われる坂田が、ボソボソと不景気な声で子供の泣き声が好きだとい・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・――何事があろうと、赤子を死なしてはならないと思った。 資本家は不景気の責任を労働者に転嫁して、首切りをやる。それを安全にやるために、われ/\の前衛を牢獄につないで置くのだ、――今になって見ると、お君にはそのことがよく分った。メリヤス工・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・などそれは下劣な事ばかり、大まじめでいって罵り、階下で赤子の泣き声がしたら耳ざとくそれを聞きとがめて、「うるさい餓鬼だ、興がさめる。おれは神経質なんだ。馬鹿にするな。あれはお前の子か。これは妙だ。ケツネの子でも人間の子みたいな泣き方をすると・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・家の娘は四歳であるが、ことしの八月に生れた赤子の頭をコツンと殴ったりしている。こんな「純真」のどこが尊いのか。感覚だけの人間は、悪鬼に似ている。どうしても倫理の訓練は必要である。 子供から冷い母だと言われているその母を見ると、たいていそ・・・ 太宰治 「純真」
・・・羞恥深き、いまだ膚やわらかき赤子なれば。獅子を真似びて三日目の朝、崖の下に蹴落すもよし。崖の下の、蒲団わするな。勘当と言って投げ出す銀煙管。「は、は。この子は、なかなか、おしゃまだね。」 知識人のプライドをいたわれ! 生き、死に、す・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・宗教家は経典に囚われて生きた人間を忘れ、学者はオーソリチーに囚われる。そして物質界を赤裸々のままで見る事を忘れる。美術家は時に原始人に立返って自然を見なければならない。宗教家は赤子の心にかえらねばならない。同時に科学者は時に無学文盲の人間に・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
出典:青空文庫