・・・この音からつるはしのようなもので薪を割る男が呼び出される。軒下に眠るルンペンのいびきの音が伴奏を始める。家の裏戸が明いて早起きのおかみさんが掃除を始める、その箒の音がこれに和する。この三つの音が次第に調子を早める。高角度に写された煙突から朝・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・とかくするうち東の空白み渡りて茜の一抹と共に星の光まばらになり、軒下に車の音しげくなり、時計を見れば既に五時半なり。急いで朝飯かき込み岡崎氏と停車場に馳けつくれば用捨気もなき汽車進行を始めて吐き出す煙の音乗り遅れし吾等を嘲るがごとし。珍しき・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・彼女と別れてすたすた戻ってきてから二三日は唖のようにだまって、家の軒下で竹びしゃくを作っていた。 ある夕方、深水がきて、高島が福岡へ発つから、今夜送別会をやるといいにきて、「ときに、例の方はどうしたい?」 と訊いたとき、三吉は、・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ると、いかにも高くいかにも能く澄んだ真夏の真昼の青空の色をも、今だに忘れず記憶している…… これもやはりそういう真夏の日盛り、自分は倉造りの運送問屋のつづいた堀留あたりを親父橋の方へと、商家の軒下の僅かなる日陰を択って歩いて行った時・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・突然耳元ちかく女の声がしたので、その方を見ると、長命寺の門前にある掛茶屋のおかみさんが軒下の床几に置いた煙草盆などを片づけているのである。土間があって、家の内の座敷にはもうランプがついている。 友達がおかみさんを呼んで、一杯いただきたい・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ところどころの軒下に大きな小田原提灯が見える。赤くぜんざいとかいてある。人気のない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒の夜を深み、加茂川の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・然し、人気なく木立に蝉の声が頻りな中に、お成座敷の古い茅屋根の軒下に繁る秋草などを眺めると、或る落付きがある。私共は座敷にある俳句を読んだりした。「どうです? 一句――」 呑気に俳句の話が弾んだ。「百日紅というのだけは浮んだんで・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・あの狭い往来のこちら側からむかい側の軒下まで人でつまっていて、もしバスがあのときやって来たら、きっとバスの方で待たなければならなかったであろうと思われるほどの盛況です。御母上様が丸髷でお手をちゃんとそろえ、いかにも「……ちょります」という風・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・廊下から眺める向い側の軒下は、ズラリと土産ものやである。いろんなものが、とりどりにまとまりなく、土産物やらしく並べたてられている。 私たちは、ゆうべ十二時すぎに琴平駅についたとき、くたびれ果てていた。迎えに出てくれた人が、へこたれている・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・初めはちょうど軒下に生まれた犬の子にふびんを掛けるように町内の人たちがお恵みくださいますので、近所じゅうの走り使いなどをいたして、飢え凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないようにいたして、い・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫