・・・が、それだと、しめくくりが緩んでちと辻褄が合わない。何も穿鑿をするのではないけれど、実は日数の少ないのに、汽車の遊びを貪った旅行で、行途は上野から高崎、妙義山を見つつ、横川、熊の平、浅間を眺め、軽井沢、追分をすぎ、篠の井線に乗り替えて、姨捨・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・児供のカタゴトじみた文句を聯べて辻褄合わぬものをさえ気分劇などと称して新らしがっている事の出来る誠に結構な時勢である。が、坪内君が『桐一葉』を書いた時は団十郎が羅馬法王で、桜痴居士が大宰相で、黙阿弥劇が憲法となってる大専制国であった。この間・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・実際、嘘を云って、そうして辻褄の合わなくなることを完全に無くするにはほとんど超人的な智恵の持主であることが必要と思われるからである。 真実を記述するといっても、とにかく主観的の真実を書きさえすれば少なくも一つの随筆にはなる。客観的にはど・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫