・・・路傍の茶店を一軒見つけ出して怪しい昼飯を済まして、それから奥へ進んで行く所がだんだん山が近くなるほど村も淋しくなる、心細い様ではあるがまたなつかしい心持もした。山路にかかって来ると路は思いの外によい路で、あまり林などはないから麓村などを見下・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ちょっと向うを見たら何か黒いものが波から抜け出て小さな弧を描いてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付けの姿勢で水を出たり入っ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・―― 村の在郷軍人で、消防の小頭をし、同時に青年団の役員をつとめている仙二が心を悩ましていたのは、お園のことや、近く迫っている役員改選期のことではなかった。沢や婆さんのことであった。 何故、この白髪蓬々の、膝からじかに大きな瞼に袋の・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 長十郎はまだ弱輩で何一つきわだった功績もなかったが、忠利は始終目をかけて側近く使っていた。酒が好きで、別人なら無礼のお咎めもありそうな失錯をしたことがあるのに、忠利は「あれは長十郎がしたのではない、酒がしたのじゃ」と言って笑っていた。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そのうちに彼誰時が近くなった。その時馬がたちまち駆歩になって、車罔は石に触れて火花を散らした。ツァウォツキイは車の小さい穴から覗いて見た。馬車は爪先下りの広い道を、谷底に向って走っている。谷底は薔薇色の靄に鎖されている。その早いこと飛ぶよう・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・和女とて一わたりは武芸をも習うたのに、近くは伊賀局なんどを亀鑑となされよ。人の噂にはいろいろの詐偽もまじわるものじゃ。軽々しく信ければ後に悔ゆることもあろうぞ」 言いきって母は返辞を待皃に忍藻の顔を見つめるので忍藻も仕方なさそうに、挨拶・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・この花園の中でただ無為に空と海と花とを眺めながら、傍近く寄るものが、もしも五月の微風のように爽かであったなら、そこに柔かな愛慾の実のなることは明かな物理である。しかし、ここの花園では愛恋は毒薬であった。もしも恋慕が花に交って花開くなら、やが・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・それに海近く棲んでいる人種の常で、秘密らしく大きく開いた、妙に赫く目をしている。 己はこの国の海岸を愛する。夢を見ているように美しい、ハムレット太子の故郷、ヘルジンギヨオルから、スウェエデンの海岸まで、さっぱりした、住心地の好さそうな田・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ いつかはまた、ちょっとした子供によくある熱に浮されて苦しみながら、ひるの中は頻りに寐反りを打って、シクシク泣ていたのが、夜に入ってから少しウツウツしたと思って、フト眼を覚すと、僕の枕元近く奥さまが来ていらっしゃって、折ふし霜月の雨のビ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・ シモンズの書いた所によると、デュウゼは自分の好きな人と話をする時には、椅子から立ち上がって、その人のそば近くに腰を掛け、ほとんど顔が相触るるまで接近して、眼は広く見開く。大きな鳶色の瞳を囲んでいる白い所がすっかりと見えるほどだ。時々身・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫