・・・静まり返っていた兵卒たちは、この音に元気を取り直したのか、そこここから拍手を送り出した。穂積中佐もほっとしながら、彼の周囲を眺め廻した。周囲にい並んだ将校たちは、いずれも幾分か気兼そうに、舞台を見たり見なかったりしている、――その中にたった・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・主人は丁度戸をあけて誰かを送り出したばかりである。この部屋の隅のテエブルの上には酒の罎や酒杯やトランプなど。主人はテエブルの前に坐り、巻煙草に一本火をつける。それから大きい欠伸をする。顋髯を生やした主人の顔は紅毛人の船長と変りはない。・・・ 芥川竜之介 「誘惑」
・・・お光は送り出しておいて、茶の間に帰るとそのままバッタリ長火鉢の前にくずおれたが、目は一杯に涙を湛えた。頬に流れ落ちる滴を拭いもやらずに、頤を襟に埋めたまま、いつまでもいつまでもじッと考え込んでいたが、ふと二階の呻り声に気がついて、ようやく力・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・三郎を送り出してからは、にわかに私たちの家もひっそりとして、食卓もさびしかった。私は娘と婆やを相手に日を暮らすようになったが、次第に私の生活は変わって行くように見えた。巣から分かれる蜂のように、いずれ末子も兄たちのあとを追って、私から離れて・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・馴染みの客を送り出して、その噂をしているのもあれば、初会の客に別れを惜しがッて、またの逢夜を約ッているのもある。夜はいよいよ明け放れた。 善吉は一層気が忙しくなッて、寝たくはあり、妙な心持はする、機会を失なッて、まじまじと吉里の寝姿を眺・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・某誌が軍部御用の先頭に立っていた時分、良人や息子や兄弟を戦地に送り出したあとのさびしい夜の灯の下であの雑誌を読み、せめてそこから日本軍の勝利を信じるきっかけをみつけ出そうとしていた日本の数十万の婦人たちは、なにも軍部の侵略計画に賛成していた・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・私はまた明日来るわけにいかないんだし、私のほかにこれを送り出してくれるものはいないんだから、辛棒して下さい。 ――そうですか。 女局員はほとんど日に一遍は彼女の前に現れていた丸い小さい日本女の顔を見なおした。 ――日本へこれが届・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 革命以来、各工場、クラブ内の文学研究会は共産党青年の中から多く有望な作家を送り出した。その点大きい役割を果しつつあるが一方、段々、所謂文学趣味に堕す傾向があった。 文学研究会へ出て来る青年たちは、むろん職場の連中だ。彼等は職場にい・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・キュリー夫人は戦争の長びくことが分るにつれ、あらゆる手段を講じて、官僚と衝突してそれを説得し、個人の援助も求めて自動車を手に入れ、それをつぎつぎに研究所で装置して送り出した。そのようにして集められた車は二十台あった。マリアはその一台を自分の・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・しかし、そういう地方の婦人は、働きの中心に自分たちがいて来ているのだから、ただ漁夫の娘とし、妻とし、母として、朝と夕べに舟を送り出し迎えて暮しているひとたちとは気分がすっかりちがっている。千葉のように半農半漁の土地柄でも、女の稼ぎに対する敏・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫