・・・けれどもそれに逢着するのは難中の難事である。我輩の先生の処が一間あいておれば置てもらうのだけれども、それは間がないのだからできない相談だ。こう云う時になると西洋の新聞は便利だ。万事広告の世界なのだから下宿の広告がいくらでもある。我輩が以前下・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ 作曲家達が逢着している所謂日本的なものの再発見の問題には、進歩的な文学者がそれにぶつかって最も健全な人間的芸術的解決を見出そうと努力していると同じ努力が要求されている。今日文化の全面に亙って棲息している事大的な棒振り的理論を、作曲家た・・・ 宮本百合子 「期待と切望」
・・・尾崎紅葉、森鴎外、二葉亭四迷、夏目漱石等の作家が見なおされたのであるが、ここでも亦逢着する事実は、明治日本のインテリゲンツィアの呼吸した空気は、昭和九年の社会と文壇とに漲ってインテリゲンツィアを押しつつんでいる気体とは全く異っていたという発・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 何故なら、此は、只彼女がそうなったと云うのみに止らず、そう云う圏境は、従ってそう云う文明は、正しいものか、正しくないものかと云う大きな問題に逢着すべきだからでございます。 又気焔を上げそうになります。真個にもう此は此処までに致しま・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ジイドは芸術家としての晩年において、一層自分という個性をより高からしめる実際の課題に逢着しているのである。〔一九三七年二月〕 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・ それらの心持を十分に推察しながらも、私は一つの疑問に逢着した。初期の暗鬱な涙の中にユーモアをもった短篇から「ふてぶてしく」「大手を振って生きよう」という今日の信念に到達した道には、石坂洋次郎として進展の足どりを認めることができるであろ・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・出征し、生きて還れた一人の青年が、故国の生活へどういう工合にして入ってゆき、そこで何を発見し、どんなこころもちに逢着したか、ここには、きおいたたない一つの気質を通じて日本の課題が示されているのではないでしょうか。もとより、まだこの作家にとっ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・には読者にとって明かに普遍性をもった性質のものとしてうけとられ、真面目な考察に導かれるものもあり、率直に云えば、誰でも皆こういう場合こう感じ、表現し、行動するのが普通であろうかという極めて自然な疑問に逢着せざるを得ないような心理のモメントも・・・ 宮本百合子 「はるかな道」
・・・そうしてこの失敗の原因を探るとき、自分はさらに悲しむべき事実に逢着する。それは西洋画家が普通の事としてやっている対象全体への有機的な注意の欠如である。 おそらくこの画は全体の構図と個々の麦の忠実な写生とからできたものであろう。従ってあの・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・この劇的雄弁術を演技だと考えていた吾人は、デュウゼが新しい考え方と演じ方とをもって出現するに及び革命に逢着した。デュウゼにとっては動作は終局でない。真の演技の邪魔となるに過ぎない。彼女にとっては最も大なる瞬間は最も深い静寂の時である。情熱を・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫