・・・ 二十歳の時、私の境遇には非常な変動が起った。郷里に帰るということと結婚という事件とともに、何の財産なき一家の糊口の責任というものが一時に私の上に落ちてきた。そうして私は、その変動に対して何の方針もきめることができなかった。およそその後・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 町を行くにも、気の怯けるまで、郷里にうらぶれた渠が身に、――誰も知るまい、――ただ一人、秘密の境を探り得たのは、潜に大なる誇りであった。 が、ものの本の中に、同じような場面を読み、絵の面に、そうした色彩に対しても、自から面の赤うな・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ その年即ち二十七年、田舎で窮していた頃、ふと郷里の新聞を見た。勿論金を出して新聞を購読するような余裕はない時代であるから、新聞社の前に立って、新聞を読んでいると、それに「冠弥左衛門」という小説が載っている。これは僕の書いたもののうちで・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・当時の成上りの田舎侍どもが郷里の糟糠の妻を忘れた新らしい婢妾は権妻と称されて紳士の一資格となり、権妻を度々取換えれば取換えるほど人に羨まれもしたし自らも誇りとした。 こういう道義的アナーキズム時代における人の品行は時代の背景を斟酌して考・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そして無理算段をしては、細君を遠い郷里の実家へ金策に発たしてやったのであった。……「なんだってあの人はあゝ怒ったの?」「やっぱし僕達に引越せって訳さ。なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒った・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・に自分から鎌倉に出向いて行ったところ、酒を飲んでおせいの老父とちょっとした立廻りを演じ、それが東京や地方の新聞におおげさに書きたてられて一カ月と経っていない場合だったので、かなり億劫な帰郷ではあった。郷里の伯母などに催促され、またこの三周忌・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・「休暇になったから郷里へ帰ろうと思ってやって来た」「もう休暇かね。俺はこんどは帰らないよ」「どうして」「帰りたくない」「うちからは」「うちへは帰らないと手紙出した」「旅行でもするのか」「いや、そうじゃない」・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 五 自分の朋友がかつてその郷里から寄せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考え申候、この野の中に縦横に通ぜる十数の径の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 私の知ってるある文筆夫人に、女学校へも行かなかった人だが、事情あって娘のとき郷里を脱け出て上京し、職業婦人になって、ある新聞記者と結婚し、子どもを育て、夫を助けて、かなり高い社会的地位まで上らせ、自分も独学して、有名な文筆夫人になって・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 二十三歳で一高を退き、病いを養いつつ、海から、山へ、郷里へと転地したり入院したりしつつ、私は殉情と思索との月日を送った。そして二十七歳のときあの作を書いた。 私の青春の悩みと憧憬と宗教的情操とがいっぱいにあの中に盛られている。うる・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
出典:青空文庫