・・・その他味淋にしろ、醤油にしろ、なんにしろかにしろすべて知らないことだらけである。知識の上において非常な不具と云わなければなりますまい。けれどもすべてを知らない代りに一カ所か二カ所人より知っていることがある。そうして生活の時間をただその方面に・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・そこで、釣ったドンコたちを生きたまま鍋に入れる。醤油をかける。すこし砂糖をまぜる。ガスにかける。火をつける。ドンコたちはここまでされても落ちつきはらっている。まだなんとかなると思っているのである。しかし、火がついて、下からそろそろ熱くなって・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・(脚(若いがら律儀嘉吉はまたゆっくりくつろいでうすぐろいてんを砕いて醤油につけて食った。 おみちは娘のような顔いろでまだぼんやりしたように座っていた。それは嘉吉がおみちを知ってからわずかに二度だけ見た表情であった。(おらにもああいう・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・味は食塩と味の素と胡椒でつけて一番終いにほんの一滴二滴醤油を落します。白菜がすっかりやわらかくなった時白タキを入れても美味しゅうございます。是はスープもたっぷり一緒に呑める分量にしてはじめから水を入れておきます。家のお料理は疲れている時には・・・ 宮本百合子 「十八番料理集」
・・・雨のふる日には、菊見せんべいの店の乾いた醤油のかんばしい匂いが一層きわだった。 菊見せんべいへ行くというとき、子供たちはもう一つのひそかな冒険で顔を見合わせた。 菊見せんべいの手前に、こまごまと軒を並べている小商人の店と店との庇・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・配給の米、醤油、そういう基本になる生活物資が約三倍になった。省線の二十銭区間は六十銭となり、四十銭で勤められた同じ距離が、一円二十銭かかるようになった。電車・バスも、うっかり乗れないものになって来た。電燈料、ガス代、水道料、これらもひどく高・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
・・・米、味噌、醤油のような生活必需物資の値段は、私たちが使えるお金に制限をうけてから、グッと三倍に上りました。勤めにゆくため、学校へゆくため、是非乗らなければならない省線、都電、バスなど、交通費もみんな三倍になりました。今の配給だけで、やって行・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・段々春の云うのを聞いて見れば、味噌も醤油も同じ方法で食っている。内で漬ける漬物も、虎吉が「この大きい分は己の茄子だ」と云って出して食うということである。虎吉は食料は食料で取って、実際食う物は主人の物を食っているのである。春は笑ってこう云った・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・茄子、胡豆など醤油のみにて煮て来ぬ。鰹節など加えぬ味頗旨し。酒は麹味を脱せねどこれも旨し。燗をなすには屎壺の形したる陶器にいれて炉の灰に埋む。夕餉果てて後、寐牀のしろ恭しく求むるを幾許ぞと問えば一人一銭五厘という。蚊なし。 十九日、朝起・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・倹約のために大豆を塩と醤油とで煮ておいて、それを飯の菜にしたのを、蔵屋敷では「仲平豆」と名づけた。同じ長屋に住むものが、あれでは体が続くまいと気づかって、酒を飲むことを勧めると、仲平は素直に聴き納れて、毎日一合ずつ酒を買った。そして晩になる・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫