・・・ 僕の投げ出したのは銅貨だった。 僕は屈辱を感じながら、ひとり往来を歩いているうちにふと遠い松林の中にある僕の家を思い出した。それは或郊外にある僕の養父母の家ではない、唯僕を中心にした家族の為に借りた家だった。僕はかれこれ十年前にも・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・桑畑の中生十文字はもう縦横に伸ばした枝に、二銭銅貨ほどの葉をつけていた。良平もその枝をくぐりくぐり、金三の跡を追って行った。彼の直鼻の先には継の当った金三の尻に、ほどけかかった帯が飛び廻っていた。 桑畑を向うに抜けた所はやっと節立った麦・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・飯本先生が一銭銅貨を一枚皆に見せていらっしゃいました。「これを何枚呑むとお腹の痛みがなおりますか」 とお聞きになりました。「一枚呑むとなおります」 とすぐ答えたのはあばれ坊主の栗原です。先生が頭を振られました。「二枚です・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・「あいにく銅貨が二、三銭と来たら、いかに吉弥さんでも驚くだろう」「この子はなかなか欲張りですよ」「あら、叔母さん、そんなことはないわ」「まア、一つさしましょう」と、僕は吉弥に猪口を渡して、「今お座敷は明いているだろうか?」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そのはずみに、懐中の財布を落とすと、口が開いて、銀貨や、銅貨がみんなあたりにころがってしまったのでした。「あ、しまった!」と、按摩はあわてて両手で地面を探しはじめました。 指のさきは、寒さと、冷たさのために痛んで、石ころであるか、土・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・握飯でもいい、午は米粒にありつきたいのだが、蝦蟇口にはもう二銭銅貨一枚しか残っていない。 私はそこの海岸通りへ出た。海から細く入江になっていて、伝馬や艀がひしひしと舳を並べた。小揚人足が賑かな節を合せて、船から米俵のような物を河岸倉へ運・・・ 小栗風葉 「世間師」
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・だが自分から銅貨を受取ったときの彼女の悲しそうな目なざしは何だろう。道々いろいろなことが考えられる。理想的社会の建設――こうしたことまで思い及ぼされるようでなければならぬ。 学生時代の恋愛はその大半は恋の思いと憧憬で埋められるべきものだ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・とか「二銭銅貨」などがその身体つきによく似合って居る。ハイカラ振ったり、たまに洋服をきて街を歩いたりしているが、そんなことはどう見たって性に合わない。都会人のまねはやめろ! なんと云っても、根が無口な百姓だ。百姓のずるさも持って居る。百・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・ そして母は、十銭渡して二銭銅貨を一ツ釣銭に貰った。なんだか二銭儲けたような気がして嬉しかった。 帰りがけに藤二を促すと、なお、彼は箱の中の新しい独楽をいじくっていた。他から見ても、如何にも、欲しそうだった。しかし無理に買ってくれと・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
出典:青空文庫