・・・ 弁慶が辻斬をしたのは橋の袂である。鍋焼うどんや夜鷹もまたしばしば橋の袂を選んで店を張った。獄門の晒首や迷子のしるべ、御触れの掲示などにもまたしばしば橋の袂が最もふさわしい地点であると考えられた。これは云うまでもなく、橋が多くの交通路の・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・此書は明治四十年の出版であるが、鍋焼温飩の図を出して、支那蕎麦屋を描いていない。之に由って観れば、支那そばやが唐人笛を吹いて歩くようになったのは明治四十年より後であろう歟。 支那蕎麦屋の夜陰に吹き鳴す唐人笛には人の心を動す一種の哀音があ・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・道端に荷をおろしている食物売の灯を見つけ、汁粉、鍋焼饂飩に空腹をいやし、大福餅や焼芋に懐手をあたためながら、両国橋をわたるのは殆毎夜のことであった。しかしわたくしたち二人、二十一、二の男に十六、七の娘が更け渡る夜の寒さと寂しさとに、おのずか・・・ 永井荷風 「雪の日」
出典:青空文庫