・・・…… 山の根から湧いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで堰を落ちて、湛えた底に、上の鐘楼の影が映るので、釣鐘の清水と言うのである。 町も場末の、細い道を、たらたらと下りて、ずッと低い処から、また山に向って径の坂を蜒って上る。そ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ はじめ二人は、磴から、山門を入ると、広い山内、鐘楼なし。松を控えた墓地の入口の、鎖さない木戸に近く、八分出来という石の塚を視た。台石に特に意匠はない、つい通りの巌組一丈余りの上に、誂えの枠を置いた。が、あの、くるくると糸を廻す棒は見え・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 三 山の麓のさびれた高い鐘楼と教会堂の下に麓から谷間へかけて、五六十戸ばかりの家が所々群がり、また時には、二三戸だけとびはなれて散在していた。これがユフカ村だった。村が静かに、平和に息づいていた。 兵士達は・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・路のほとりにやや大なる寺ありて、如何にやしけむ鐘楼はなく、山門に鐘を懸けたれば二人相見ておぼえず笑う。九時少し過ぐる頃寄居に入る。ここは人家も少からず、町の彼方に秩父の山々近く見えて如何にも田舎びたれど、熊谷より大宮郷に至る道の中にて第一の・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・しかして丘の上には赤い鐘楼のある白い寺だの、ライラックのさきそろった寺領の庭だの、ジャスミンの花にうもれた郵便局だの、大槲樹の後ろにある園丁の家だのがあって、見るものことごとくはなやかです。そよ風になびく旗、河岸や橋につながれた小舟、今日こ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ほかの名高い伽藍にくらべて別に立派なとも思いませんが両側に相対してそびえた鐘楼がちょっと変わった感じを与えます。入り口をはいるとここに限らず一時まっ暗になる。足もとから不意に鋭い声でプール・レ・ポーヴルと呼びかける。まっ白い大きな頭巾を着た・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ニコライの鐘楼と丸屋根が美しく冬日に輝いて、霜どけの花壇では薬草サフランと書いた立札だけが何にも生えていない泥の上にあった。由子はうっとり――思いつめたような恍惚さで日向ぼっこをした。お千代ちゃんは眩しそうに日向に背を向け、受け口を少しばか・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 東大寺の大きな鐘楼の傍から、石段を降りますと、「大湯屋」という古い建築物に突き当ります。 昔、或る特別な貴族階級に丈、使用された浴場の跡らしいものでした。そして、そこ丈が、あたりの寺院とか神社の建物と異った一種の趣きを現わしていま・・・ 宮本百合子 「「奈良」に遊びて」
・・・ 夜に成ると、山門と、静かな鐘楼の間から松の葉越しに、まるで芝居の書割のように大きな銀色の月が見える吉祥寺が、大通の真前にあった。 俥が漸々入る露路のとっつきにある彼女等の格子戸は、前に可愛い二本の槇を植えて、些か風情を添えて居るも・・・ 宮本百合子 「われらの家」
・・・父の山椒大夫に見まごうような親爺で、この寺の鐘楼守である。親爺は詞を続いで言った。「そのわっぱはな、わしが午ごろ鐘楼から見ておると、築泥の外を通って南へ急いだ。かよわい代りには身が軽い。もう大分の道を行ったじゃろ」「それじゃ。半日に童の・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫