・・・ 二 すると同じ三十日の夜、井伊掃部頭直孝の陣屋に召し使いになっていた女が一人俄に気の狂ったように叫び出した。彼女はやっと三十を越した、古千屋という名の女だった。「塙団右衛門ほどの侍の首も大御所の実検には具・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・藪の中に一本大きな赤椿があって、鵯の渡る頃は、落ち散る花を笹の枝に貫いて戦遊びの陣屋を飾った。木の空にはごを仕掛けて鵯を捕った事もある。 叔父の家は富んで、奥座敷などは二十畳もあったろう。美しい毛氈がいつでも敷いてあって、欄間に木彫の竜・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・がすんで、「盛綱陣屋」が開く時分に、先刻から場席を留守にしていたお絹が、やっと落ち著いた顔をして、やってきた。「お芳さんがあすこに立っていたから、行って見てきましたの。いい塩梅に平場の前の方を融通してくれたんですよ」「そう。お芳さん・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫