・・・とか何とか云うと、早速隔ての襖をあけて、気軽く下の間へ出向いて行った。そうして、ほどなく、見た所から無骨らしい伝右衛門を伴なって、不相変の微笑をたたえながら、得々として帰って来た。「いや、これは、とんだ御足労を願って恐縮でございますな。・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。よく眠れ。不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ それも心細く、その言う処を確めよう、先刻に老番頭と語るのをこの隠れ家で聞いたるごとく、自分の居処を安堵せんと欲して、立花は手を伸べて、心覚えの隔ての襖に触れて試た。 人の妻と、かかる術して忍び合うには、疾く我がためには、神なく、物・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・民子とお前とは兄弟も同じだ、お母さんの眼からはお前も民子も少しも隔てはない、仲よくしろよといつでも云ったじゃありませんか」 母の心配も道理のあることだが、僕等もそんないやらしいことを云われようとは少しも思って居なかったから、僕の不平もい・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。「どうせ、丁寧に教えてあげる暇はないのだから、お礼を言われるまでのことはないのです」「この暑いのに、よう精が出ます、な、朝から晩まで勉強をなさって?」「そうやっていなけれ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・この教信は好事の癖ある風流人であったから、椿岳と意気投合して隔てぬ中の友となり、日夕往来して数寄の遊びを侶にした。その頃椿岳はモウ世間の名利を思切った顔をしていたが、油会所の手代時代の算盤気分がマダ抜けなかったと見えて、世間を驚かしてやろう・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・左の方の、黄いろみ掛かった畑を隔てて村が見える。停車場には、その村の名が付いているのである。右の方には砂地に草の生えた原が、眠たそうに広がっている。 二人の百姓は、町へ出て物を売った帰りと見えて、停車場に附属している料理店に坐り込んで祝・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ このときたちまち、その遠い、寂寥の地平線にあたって、五つの赤いそりが、同じほどにたがいに隔てをおいて行儀ただしく、しかも速やかに、真一文字にかなたを走っていく姿を見ました。 すると、それを見た人々は、だれでも声をあげて驚かぬものは・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・切立った崖の下からすぐ海峡を隔てて、青々とした向うの国を望んだ眺めはさすがに悪くはなかった。が、私はそれよりも、沖に碇泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・死骸はわずか一間と隔てぬ所に在るのだけれど、その一間が時に取っては十里よりも……遠いのではないが、難儀だ。けれども、如何仕様も無い、這って行く外はない。咽喉は熱して焦げるよう。寧そ水を飲まぬ方が手短に片付くとは思いながら、それでも若しやに覊・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫