・・・ 音が通い、雫を帯びて、人待石――巨石の割目に茂った、露草の花、蓼の紅も、ここに腰掛けたという判官のその山伏の姿よりは、爽かに鎧うたる、色よき縅毛を思わせて、黄金の太刀も草摺も鳴るよ、とばかり、松の梢は颯々と、清水の音に通って涼しい。・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ ……妙な事は、いま言った、萩また椿、朝顔の花、露草などは、枝にも蔓にも馴れ馴染んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退いている・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ という、斜に見える市場の裏羽目に添って、紅蓼と、露草の枯れがれに咲いて残ったのが、どちらがその狐火の小提灯だか、濡々と灯れて、尾花に戦いで……それ動いて行く。「そうか、私はまた狐の糸工場かと思った。雨あしの白いのが、天井の車麩から・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ と声を限り、これや串戯をしては可けないぜと、思わず独言を言いながら、露草を踏しだき、薄を掻分け、刈萱を押遣って、章駄天のように追駈けまする、姿は草の中に見え隠れて、あたかもこれ月夜に兎の踊るよう。「お雪さん、おうい、お雪さん。」・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にするとき経験することがある。草叢の緑とまぎれやすいその青は不思議な惑わしを持っている。私はそれを、露草の花が青空や海と共通の色を持っているところから起る一種の錯覚だと快く信じているのであるが・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・土堤の斜面はひかげがこくなり、花をつけた露草がいっぱいにしげっている。 つれの、桃色の腰巻をたらして、裾ばしょりしている小娘の方が、ときどきふりかえって三吉の方をにらむ。くろい、あごのしゃくれた小さい顔は、あらわに敵意をみせていた。女は・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 両側の土手には草の中に野菊や露草がその時節には花をさかせている。流の幅は二間くらいはあるであろう。通る人に川の名をきいて見たがわからなかった。しかし真間川の流の末だということだけは知ることができた。 真間川はむかしの書物には継川と・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・もう三十年の昔、小日向水道町に水道の水が、露草の間を野川の如くに流れていた時分の事である。 水戸の御家人や旗本の空屋敷が其処此処に売物となっていたのをば、維新の革命があって程もなく、新しい時代に乗じた私の父は空屋敷三軒ほどの地所を一まと・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫