・・・またある痕は、細長く深く切れ込み、古い本が紙魚に食い貫かれたあとのようになっている。 変な感じで、足を見ているうちにも青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫物は紅い、サボテンの花のようである。 母がいる。「あああ。こんなにな・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・終わって二人は朝飯を食いながら親父は低い声で、「この若者はよっぽどからだを痛めているようだ。きょうは一日そっとしておいて仕事を休ますほうがよかろう。」 弁公はほおばって首を縦に二三度振る。「そして出がけに、飯もたいてあるから勝手・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ そこには、中隊で食い残した麦飯が入っていた。パンの切れが放りこまれてあった。その上から、味噌汁の残りをぶちかけてあった。 子供達は、喜び、うめき声を出したりしながら、互いに手をかきむしり合って、携えて来た琺瑯引きの洗面器へ残飯をか・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ところが魚というのは、それは魚だからいさえすれば餌があれば食いそうなものだけれども、そうも行かないもので、時によると何かを嫌って、例えば水を嫌うとか風を嫌うとか、あるいは何か不明な原因があってそれを嫌うというと、いても食わないことがあるもん・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ N駅に出る狭い道を曲がった時、自動車の前を毎朝めしを食いに行っていた食堂のおかみさんが、片手に葱の束を持って、子供をあやしながら横切って行くのを見付けた。 前に、俺はそこの食堂で「金属」の仕事をしていた女の人と十五銭のめしを食って・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・私共を御覧なさい、あの通りウジャウジャ居るんですからネ……加に、大飯食いばかり揃っていて」と言いかけて、学士は思い出したように笑って、「まさか、子供に向って、そんなに食うな、三杯位にして控えて置けなんて、親の身としては言えませんからナ……」・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・結核菌が、からだのあちこちを虫食いはじめていたのでした。それでも、ずいぶん元気で、田舎にもあまり帰りたがらず、入院もせず、戸山が原のちかくに一軒、家を借りて、同郷のWさん夫婦にその家の一間にはいってもらって、あとの部屋は全部、自分で使って、・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に估価するには、一通りの数学的素養のある人でもちょっと骨が折れる。 到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ の歩いている村の道を、二、三人物食いながら来かかる子供を見て、わたくしは土地の名と海の遠さとを尋ねた。 海まではまだなかなかあるそうである。そしてここは原木といい、あのお寺は妙行寺と呼ばれることを教えられた。 寺の太鼓が鳴り出・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・収穫季の終が来て蛇が閉塞して畢うと鼠は蕎麦や籾の俵を食い破る。それでも猫は飼わなかった。太十が犬だけは自分で世話をした。壊れた箱へ藁しびを入れてそれを囲炉裏の側へ置いてやった。子犬はそれへくるまって寝た。霜の白い朝彼は起きて屹度犬の箱を覗く・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫