・・・ お嬢さんは騒がしい人ごみの中にぼんやり立っていることがある。人ごみを離れたベンチの上に雑誌などを読んでいることがある。あるいはまた長いプラットフォオムの縁をぶらぶら歩いていることもある。 保吉はお嬢さんの姿を見ても、恋愛小説に書い・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・ 井伊の陣屋の騒がしいことはおのずから徳川家康の耳にもはいらない訣には行かなかった。のみならず直孝は家康に謁し、古千屋に直之の悪霊の乗り移ったために誰も皆恐れていることを話した。「直之の怨むのも不思議はない。では早速実検しよう。」・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・ しばらくの後わたしたちは、浪ばかり騒がしい海べから、寂しい漁村へはいりました。薄白い路の左右には、梢から垂れた榕樹の枝に、肉の厚い葉が光っている、――その木の間に点々と、笹葺きの屋根を並べたのが、この島の土人の家なのです。が、そう云う・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・不断のように、我身の周囲に行われている、忙わしい、騒がしい、一切の生活が分かる。 はてな。人が殺されたという事実がそれだろうか。自分が、このフレンチが、それに立ち会っていたという事実がそれだろうか。死が恐ろしい、言うに言われぬ苦しいもの・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ わやわやと騒がしい家の中は薄暗い。妻は台所の土間に藁火を焚いて、裸体の死児をあたためようとしている。入口には二、三人近所の人もいたようなれどだれだかわからぬ。民子、秋子、雪子らの泣き声は耳にはいった。妻は自分を見るや泣き声を絞って、何・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・星たちは、騒がしいことは好みませんでした。なぜというに、星の声は、それはそれはかすかなものであったからであります。ちょうど真夜中の一時から、二時ごろにかけてでありました。夜の中でも、いちばんしんとした、寒い刻限でありました。「いまごろは・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・また、悲惨な犠牲者の狂い働いている騒がしい響きの混った物音も聞かない。また、二十世紀の科学的文明が世界の幾千の都会に光りと色彩の美観を添え、益々繁華ならしめんとする余沢も蒙っていない。たゞ千年前の青い空の下に、其の時分の昔の人も、こうして住・・・ 小川未明 「夕暮の窓より」
・・・がやがやと騒がしいお通夜になって来た。ボートのバック台の練習をしながらワレハ海ノ子と歌いだす者がある。議論がはじまる。ラスコリニコフが階段の途中でペンキ屋にどうかされたとかなんとかシロサキが言っている。よせやい、お通夜じゃないか、静にしろと・・・ 織田作之助 「道」
・・・この騒がしい場所の騒がしい時にかの男は悠然と尺八を吹いていたのである。それであるから、自分の目には彼が半身に浴びている春の夕陽までがいかにも静かに、穏やかに見えて、彼の尺八の音の達く限り、そこに悠々たる一寰区が作られているように思われたので・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ きゅうにドカドカと騒がしい音がして、二人の支那人が支那服を着た田川を両方から助け肩にすがらしてはいってきた。「大人、露西亜人にやられただ」 支那人の呉清輝は、部屋の入口の天鵞絨のカーテンのかげから罪を犯した常習犯のように下卑た・・・ 黒島伝治 「国境」
出典:青空文庫