・・・小屋のすぐ前に屋台店のようなものが出来ていて、それによごれた叺を並べ、馬の餌にするような芋の切れ端しや、砂埃に色の変った駄菓子が少しばかり、ビール罎の口のとれたのに夏菊などさしたのが一方に立ててある。店の軒には、青や赤の短冊に、歌か俳句か書・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・「今夜一処にビールを飲もう」というくらいの罪のない信号である場合もあろうが、もう少したちの悪い場合も色々あり得る。そうした場合に、同室にいる課長殿が、これは誰かに対する信号だということに気が付いたとしても、その信号を受けているのが室内のどの・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・吾妻橋を渡ると久しく麦酒製造会社の庭園になっていた旧佐竹氏の浩養園がある。しかしこの名園は災禍の未だ起らざる以前既に荒廃して殆その跡を留めていなかった。枕橋のほとりなる水戸家の林泉は焦土と化した後、一時土砂石材の置場になっていたが、今や日な・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・給仕に出た女が、招魂祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろの催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへお呼ばれなすったんでしょうとか言うのを聞きながら、ビールを一、二はいのんだ。下女は重吉のことをおとなしいよいかただと言っ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・君ビールを飲むか」「飲んでもいい」と圭さんは泰然たる返事をした。「飲んでもいいか、それじゃ飲まなくってもいいんだ。――よすかね」「よさなくっても好い。ともかくも少し飲もう」「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・それが、ビール箱の蓋か何かに支えられて、立っているように見えた。その蓋から一方へ向けてそれで蔽い切れない部分が二三尺はみ出しているようであった。だが、どうもハッキリ分らなかった。何しろ可成り距離はあるんだし、暗くはあるし、けれども私は体中の・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。五時間目には菊池先生がうちへ宛てた手紙を渡して、またいろいろ話され・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そして、そういうことをする者があるから、はたが困るよと云いながら、どういうわけか、頻りに腹がわるいんならこれに限ると紙コップについだビールを対手に押しつけてすすめていた。〔一九三八年一月〕・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・ この時すぐに目を射たのは、机の向側に夷麦酒の空箱が竪に据えて本箱にしてあることであった。しかもその箱の半以上を、茶褐色の背革の大きい本三冊が占めていて、跡は小さい本と雑記帳とで填まっている。三冊の大きい本は極新しい。薄暗い箱から、背革・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・「勘よ、うちにビール箱が沢山あったやろが、あれで作ったらどうやろな?」とお霜は云い出した。 秋三はにやにや笑いながら、「そいつは好え。あれなら八分板や、あんなもんでして貰うたら、それこそ極楽へ行きよるに定ってる。やっぱり伯母やん・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫