・・・などでも日本映画としては相当進歩したものではあろうが、しかし配役があまりに定石的で、あまりに板につき過ぎているためにかえってなんとなくステールな糠味噌のようなにおいがして、せっかくのネオ・リアリズムの「ネオ」がきかなくなるように感ぜられた。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 現代文学のこれまでの動きの様々の時期をかえりみると、それ等の文学的エポークには、それぞれに動いた作家が、自身の動きの激しさと性格とを作品に出して先ずそこで動きがおのずから表明されて来ていた。ネオ・ロマンティシズムという名は、谷崎潤一郎・・・ 宮本百合子 「昭和十五年度の文学様相」
・・・ 明治四十年代の荷風のデカダニズムはさきにふれたように、正面から日本の歴史的軛に抗議することを断念した性格のものであったし、大正年代に現われた谷崎潤一郎などのネオ・ロマンティシズムの要素も、同時代に擡頭した武者小路実篤のヒューマニズムと・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・どっちも一寸しめっぽくて、ひやっこくて――帝大のブルジョア大学らしいネオ・ゴチックの建物を眺めながら歩いていると、実に三年ぶりの日本の秋だ。 空を飛んで来たブルース夫人は日本及朝日新聞社へ着陸した。彼女は飛行帽をぬぎながら愛嬌よく云った・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
出典:青空文庫