出典:青空文庫
・・・誌を持ち込んで、ジャン・ポール・サルトルの義眼めいた顔の近影を眺めている姿は、一体いかなる不逞なドラ猫に見えるであろうか。 ある大衆作家は「新婚ドライブ競争」というような題の小説を書くほどの神経の逞しさを持っていながら、座談会に出席する・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・このような文学こそ、新しい近代小説への道に努力せんとしている僕らのジェネレーションを刺戟するもので、よしんば僕らがもっている日本的な文学教養は志賀さんや秋声の文学の方をサルトルよりも気品高しとするにせよ、僕はやはりサルトルをみなさんにすすめ・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」
・・・と変化しました。サルトルが流行したら「無」は実存主義によって語りだされました。何とジャーナリスティックな、かんのいい「無」でしょう。田辺哲学の読者は、この資本主義社会に発生した東洋的な「無」の哲学が、われにもあらず権力と商業主義に流され、こ・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 第二のことは、サルトルの実存主義の皮相的な流行と坂口安吾氏の文学を中心とする肉体主義の流行、それから日本の民主的革命の歴史的な段階をあやまって理解した「近代」主義の流行等がありました。これらの流行は文学の範囲をこえた影響をおこしていて・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・だらか日本におかしな形で一時流行したサルトルにしろ、彼の実存主義は第一次大戦後の心理分析主義のような形でヨーロッパ文学を支配することはありません。第二次大戦後の世界文学は、その進歩的な発展的な面では、大局的にそして決定的に民主と平和の方向を・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」