出典:青空文庫
マルは かわいい ねこです。まあちゃんが とても かわいがって いました。「ねえ おかあさん、マルが おしろいくさいよ。」と、まあちゃんが いいました。「どうしてでしょう。あんたの はなの せいじゃ ない?」と、おかあ・・・ 小川未明 「マルは しあわせ」
・・・ 内の庭に向いた廊下のところで、白い毛の長いマルが主人を見つけて馳けて来た。おせんのいる頃から飼われた狆だ。体躯は小さいが、性質の賢いもので、よく人に慣れていた。二人で屋外からでも帰って来ると、一番先におせんの足音を聞付けるのはこのマル・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・荒涼、陰惨、ディスマル、トロストロース、あらゆる有り合わせの形容詞の総ざらえをしても間に合わない光景である。いつもは美しく飾り立てた小売り店の表には、実に見すぼらしい明治時代の雨戸がしめてある。大商店のショウウィンドウにははげさびた鎧戸か、・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・朱漆で塗った地に黒漆でからすの絵を描いたその下に烏丸枇杷葉湯と書いた一対の細長い箱を振り分けに肩にかついで「ホンケー、カラスマル、ビワヨーオートー」と終わりの「ヨートー」を長く清らかに引いて、呼び歩いていたようにも思うし、また木陰などに荷を・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・するとアグーの太守がわしは勝ち手にとらせる褒美を受持とうと十万枚の黄金を加える。マルテロはわしは御馳走役じゃと云うて蝋燭の火で煮焼した珍味を振舞うて、銀の皿小鉢を引出物に添える」「もう沢山じゃ」とウィリアムが笑いながら云う。「ま一つ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 工場の女と犬 十月雨の日 女工「マル マル マルや 来い来い お前を入れて置きたいのは山々だけれどもね、土屋さんに叱られるといけないから出てお呉れ、ね、マルや マル」 別の声「何云ってるの」「―・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・町角と云わず、ふだんは似顔描きが佇んでいるようなところにまで女や男のひとたちが、鬱金の布に朱でマルを印したものと赤糸とをもって立っていて女の通行人を見ると千人針をたのんでいる。出会い頭に、ああすみませんがと白縮のシャツの中僧さんにたのまれた・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・あけてみると、ところどころに赤鉛筆でマルがつけてある。 それからひとりでに武者小路実篤の初期の書いたものだのロシアの作家の作品だのが殖えて来たのを思えば、知らず知らずのうちに明治末期から大正への文芸潮流が、七畳の隅の、粗末な本棚と、まだ・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・小高き丘の上に、まばらに兵を、ザックセン、マイニンゲンのよつぎの君夫婦、ワイマル、ショオンベルヒの両公子、これにおもなる女官数人したがえり。ザックセン王宮の女官はみにくしという世の噂むなしからず、いずれも顔立ちよからぬに、人の世の春さえはや・・・ 森鴎外 「文づかい」