出典:gooニュース
三国志の戦犯といえば…蜀の劉備軍団のジョーカー、孟達と劉封のトホホな運命
一方で、211年には蜀と劉備軍団の命運を大きく左右する(マイナスの意味で)、最大の悲劇を誘発する人材が加入しています。それは武将の孟達です。孟達は法正と同郷で、二人はほぼ同じ時期に劉璋陣営から、劉備陣営に鞍替えしています。 この孟達は、劉備陣営の拡大期の後半から活躍します。
劉備軍団と蜀軍、そのクライマックスの219年までを支えたのは誰か?
以後10年近く、破竹の勢いで勢力を広げ、劉備が219年に漢中王になるまで劉備軍団の勢いは続きます。 209年から211年は、劉備軍団が飛翔し始めた期間 208年に赤壁の戦いで曹操軍を破った呉軍と劉備軍は、それぞれの思惑を胸に赤壁後の動きを始めます。劉備軍団は諸葛亮の天下三分の計を元に、209年に荊州南部を占領。
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