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大塩平八郎の解説 - 小学館 デジタル大辞泉

[1793〜1837]江戸後期の陽明学者。阿波の人。大坂の生まれとも。名は後素。号は中斎。大坂町奉行所与力を辞職し、私塾洗心洞 (せんしんどう) で子弟教育にあたった。天保7年(1836)の飢饉 (ききん) に際して奉行所に救済を請うたが容れられず、蔵書を売って窮民を救った。翌8年、幕政批判して大坂で兵を挙げたが、敗れて自殺。著「洗心洞箚記 (せんしんどうさっき) 」。→天保の飢饉

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