出典:青空文庫
・・・骨も埋もるるばかり肥え太りて、角袖着せたる布袋をそのまま、笑ましげに障子の中へ振り向きしが、話しかくる一言の末に身を反らせて打ち笑いぬ。中なる人の影は見えず。 われを嘲けるごとく辰弥は椅子を離れ、庭に下り立ちてそのまま東の川原に出でぬ。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と謙遜の布袋の中へ何もかも抛り込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあれば好いというのなら、これでよかったのだ。しかし若崎のこの答は、どうしても、何か有るのを露わすまいとしているのであると感じられずにはいない。「きっと・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・だって布袋竹の釣竿のよく撓う奴でもってピューッと一ツやられたのだもの。一昨々日のことだったがね、生の魚が食べたいから釣って来いと命令けられたのだよ。風が吹いて騒ついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図していると叱られる・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・見るとたしかにそれは釣竿で、下に何かいてグイと持って行こうとするようなので、なやすようにして手をはなさずに、それをすかして見ながら、 「旦那これは釣竿です、野布袋です、良いもんのようです。」 「フム、そうかい」といいながら、その竿の・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・東西南北、前後左右、あるいは大あるいは小、高きあり、ひくきあり、みの亀の尾ひきたるごとき者、臥したる牛の首あげたるごとき者あり、月島星島桂島、踞せるがごときが布袋島なら立てるごときは毘沙門島にや、勝手に舟子が云いちらす名も相応に多かるべし。・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・魚網を肩へかけ、布袋を下げた素人漁夫らしいのも見かけた。河畔の緑草の上で、紅白のあらい竪縞を着た女のせんたくしているのも美しい色彩であった。パヴィアから先には水田のようなものがあった。どんな寒村でも、寺の塔だけは高くそびえているのであった。・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・その当時、最初はこの女一人であったがほどなく新橋南地の新布袋家という芸者家からも、同じようなダンスを見せる女が現れた。間もなく震災があって、東京の市街は大方焼けてしまったので、裸体ダンスの噂もなくなったが、昭和になってから向島、平井町、五反・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・ 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋と、つく薯みたいな山水がかかって居た。 お金は、すっかり片づけて来て、兄の前にぴったりと平ったく座ると、急にあらたまった口調で、無沙汰の詫やら・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・護法堂の布袋、囲りに唐児が遊れて居る巨大な金色の布袋なのだが、其が彫塑であるという専門的穿鑿をおいても、この位心持よい布袋を私は初めて見た。布袋というものに人格化された福々しさが、厭味なく、春風駘蕩と表現されて居る。云うに云われぬ楽しさ面白・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・青蓮堂に藤左衛門の像、護法堂の有名な彫塑大布袋、大方丈の沈南蘋の牡丹の絵などを見せて貰った。けれども、私共に最も感銘を与えたのは、大観門前に佇んで、低い胸欄越しに、模糊とした長崎市を俯瞰した時の心持だ。左手に、高くすっきり櫓形に石をたたみ上・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」