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・・・また新にという字をつくったのは林家を再興した述斎であって、後に明治年間に至って成島柳北が頻にこの字を用いた。これらのことはいずれも風俗画報社の『新撰東京名所図会』に説かれている。 林述斎が隅田川の風景を愛して橋場の辺に別墅を築きこれを鴎・・・
永井荷風
「向嶋」
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・・・ 明治一六年二月編者識と記すべき法なるを、ある時、林大学頭より出したる受取書に、楷書をもって尋常に米と記しければ、勘定所の俗吏輩、いかでこれを許すべきや、成規に背くとて却下したるに、林家においてもこれに服せず、同家の用人と勘定所の・・・
福沢諭吉
「学問の独立」