出典:青空文庫
・・・かつて長谷川如是閑氏は、個人的感情を階級の義務の前に殉ぜしめることを主題としたプロレタリア文学に対して、「新しいつもりか知らぬが、義理のしがらみに身をせめられる義太夫のさわりと大差ない」という意味の評をしたことがある。私はその言葉を心に印さ・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・ 良吉は、油っ濃くでくでくに肥って、抜け上った額が熱い汁を吸う度びに赤くなって行った。 義太夫語りの様なゼイゼイした太い声を出して、何ぞと云っては、「ウハハハハと豪傑を気取り、勿体をつけて、ゆすりあげて笑った。 ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ものをいわされず、書かされないとき、ちょうど節穴から一筋の日光がさしこむようにチラリと洩らされる正義の情、抑圧への反抗は、いわば、人々の間に暗黙のうちに契約となったいくつかの暗号のようなものであった。義太夫ずきの爺さんが、すりへったレコード・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・やはり人気ないそこの白い街道を歩いていたら、すぐ前の木賃宿の二階で義太夫のさわりが聞えた。ガラリと土間の障子が開いて、古びた水色ヴェールを喉に巻きつけた女が大きな皿を袖口に引こめた手で抱えて半身を現した。「五十銭だよ」 生欠伸をする・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・「私は百姓達にまじって下手な義太夫や講談をきくのがすきなんです。」 篤は徒歩旅行をしてそこいら中の温泉を歩き廻った時の事を話した。 真黒な体の男や女が山の中の浅い井戸の様に自然に温泉の湧く穴につかってガヤガヤさわいで居るのを見た・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・○この時代、一般にまだ義太夫口調の趣味失せず。美妙のどったんばったん的措辞も幾分その余波にや○雲中語に、紫琴という女流作家の名が見える。誰であろう。よい作品はなかったらしいが。○鷸掻、三人冗語、雲中語をとびとびによみ、明・・・ 宮本百合子 「無題(六)」
・・・ 昔から有名な宮城野信夫の義太夫は、既に東北地方から江戸吉原に売られた娘宮城野とその妹信夫とを扱っているのである。殿様、地頭様、庄屋様、斬りすて御免の水呑百姓という順序で息もつけなかった昔から、今日地主、小作となってまで東北農民の実生活・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波君のお伽話もない時代に生れたので、お祖母さまがおよめ入の時に持って来られたと云う百人一首やら、お祖父さまが義太夫を語られた時の記念に残っている浄瑠璃本やら、謡曲の筋書をした絵本やら、そんなものを有るに任せて・・・ 森鴎外 「サフラン」